中国茶、紅茶、日本茶、お茶のことをあれこれと。
白茶だけど白茶ではないお茶
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目にも彩な緑のお茶がある。このお茶にはなぜか「白茶」という名前がついている。これはいわゆる6大茶区分でいうところの白茶ではなく、白茶という名前の緑茶なのである。

このお茶を初めて飲んだのはもう6年ほど前のこと。当時は「白片」とごっちゃにしていた。こちらはそもそも「銀坑白片」という品種なので、違うお茶なのだろう。

その正体は安吉白茶(あんきつしろちゃ)。浙江省安吉県に産するお茶だ。渓龍郷にある大山[土烏]で産するものが「安吉白茶」と呼ばれている。

海抜800メートルの茶畑で作られるこの茶は、古くから安吉にあった一株の野生茶樹(白茶種)を親木とした茶樹をあちこちで育てたものらしい。白茶の名前の由来もそんなとことにあって、白毫の多いミル芽を春に摘んで製茶するために「白茶」の名前が付いているという。

1999年から3年連続で国際銘茶コンテストで金賞を受賞しているという由緒正しいお茶といえるだろう。良くある話しだが、このお茶の原木「白茶王」という茶樹は、既に1000年の時を経ているのだとか。

しかし、そんな回りにくっついたどうでも良い話しを横に置いたとしても、このお茶はおいしい。一芯ニ葉の比較的嵩があるように見える茶葉は、非常に緑色が鮮やかで、見た目もきれいだ。

やや青臭い香りが先に立つ場合もあるが、ちゃんとした作りのお茶は、まろやかで甘く優しい。最近緑茶というと、太平猿魁かこの安吉白茶を飲むことがおおい。









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松山おやじの本
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中国茶仲間の間で「松山おやじ」と呼ばれている松山猛さんの新しいエッセイ集「亜細亜道楽紀行」が発売になった。たまたま書店で見つけて一気に読み終わってしまった。

なにしろ、松山さんの道楽がぎゅっと濃縮された本なのだから、お茶好きは読まないといけない。目次を開いただけでその内容がなんとなく解るというものだ。お茶あり食あり、骨董ありの、もうこれでもかという「いいなあ」の嵐である。

松山さんの本をはじめて知ったのは、僕がオートバイで八ヶ岳通いをしていたころに「新八ヶ岳原人日記 」という本を読んだことがきっかけだから、かれこれ20年も前の話だが、松山さんの趣味に共鳴したのは、もちろん「ワーズワースの庭で」と「ちゃあい」であった。どれもお茶に対する愛情が行間にあふれていた。

この松山さん、出演していたフジテレビの「ワーズワースの庭で」という番組で、当時一緒に出演していた渡辺満里奈さんにお茶の飲み方をおしえていたのだった。彼女の本にも、そのときの話がちょこっとだけ出てきたりする。

安渓鉄観音の故郷をたずね、宜興の世界に思いをはせる。そして台湾のお茶に舌鼓。そんな松山おやじの道楽の世界にディープに浸れるお勧めの本である。






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貴婦人の晩秋
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いままでで一番おいしいと思った紅茶を上げろといわれたら、迷わずに1996年11月に飲んだチャーモン農園のオータムナルだと答えるだろう。

それまでも、当然10年以上いろんなダージリンを飲んできたが、個人的にはファーストやセカンドよりもオータムナルの豊穣な味わいが好みだというのは解っていた。しかし、この年の、しかもチャーモン農園のオータムナルは、今まで呑んだことのないほどの味と香りを持っていた。

このお茶は、もちろんリーフルのお茶。当時、リーフルではこのお茶を「貴婦人の晩秋」と名付けていた。

茶葉は比較的大き目の茶が、「紅茶???」と思わせたが、ポットに茶葉を入れ、「丹沢山系の水」を沸かして注ぎ、つこと5分。近くの骨董品店で買った、昔ホテルで使われていたようなティーカップに注ぐ。

茶の水色は驚くほど薄く、ダージリンはこんなに薄かったかなあと思いながらカップに顔を近づけたところ、思わず声を穂上げてしまうような香り。なにしろやさしい甘い香りが漂っていた。

残念ながら、それ以降、チャーモンのおいしいものに出会えずにいる。このときに一緒にナムリングアッパー農園も飲んだのだが、その後はこちらの方が断然いいとおもう。

今年は、マーガレッツホープ農園チャイナスペシャルDJ-712がフェバリットだ。

いずれにせよ、再びあの貴婦人の晩秋に会うことができるのだろうか・・・。



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プロペラは孤独か?
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日本の茶畑には、あちこちにこんな電柱の上に大きなファンがついているのが立っているのを見たことがあるだろう。お茶に興味がなかった頃は、なんでこんなのがあるんだろうと思ってたのだが、いやいや、お茶の北限に近い日本では、このファン、かなり活躍しているらしい。

なんの為かというと、いわゆる茶の新芽が遅霜の被害にやられないようにするため。日本では、茶園面積5万ヘクタールのうち3万ヘクタールが霜害をこうむるという。だからこれからの時期に活躍をはじめるのだ。 茶の新芽は、約-2℃で細胞が凍結し、それによって破壊・枯死する。霜は確実に茶の芽を蝕むことになるのだ。

でも、どうしてこんなファンが回るだけで、霜の被害を防げるのだろう?

b200402262.jpg茶園では、茶樹の根に近い地面近辺に通常空気の冷たい層があるのだとか。その上は、なぜかやや暖かな空気の層があるらしい。ファンは、この暖かい空気の層にあわせて作られており、このやや暖かい空気の層をプロペラでかきまぜてやることで、冷たい空気の層に暖かな空気を送りこめるのだという。

このファンの名前はそのまんま、「防霜ファン」。昭和和46年に三重県農業技術センター茶業センターの横山俊祐氏らによって開発された。当時はこんなに沢山のファンが立つとは思わなかっただろう。

もちろん、いまだって、この送風式だけが防霜対策ではないらしい。茶園をおおってしまう「棚がけ」、スプリンクラーによる「散水氷結法」(これはすごい発想で、凍霜害を受けるようなときに散水すると、茶株に付着した水は氷結するのだが、水が氷結するときに80cal/gの潜熱を放出するので、茶の芽は0℃前後に保温され、被害を回避することができるのだとか。)などなど。

ところで、このプロペラが回るのは、実は夜なのだ。つまりあまり人目にはつかない。下の下りる夜半から左右に首を振りながら一生懸命に働くことになる。けなげな姿ではないか。

どうでもいいことなんだけど、人目にも触れずにあちこちで首を振っているプロペラは、沢山立っているとはいえ、なんだか孤独なんじゃないかなと思ったりする。



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ティーバッグ
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最近紅茶のティーバッグを飲む機会が多い。お好みは、なんの変哲もない(笑)「リプトン」のピラミッド型のティーバッグなのだが、ティー-バッグの作りというのは、なんだかとてもおもしろい。

中国茶のティーバッグも最近ではいろんな物が出始めたが、そこは紅茶、中国茶よりも工夫が施されている。しかし、プリミティブなティーバッグというのが見た目もこのみなので、入れて楽しく、見て楽しいのはなんといってもマリアージュフレールのティーバッグということになる。

b200402252.jpgこれは布で茶葉が包まれている。昔はみんなこうだったというが、なんともころころとした形で可愛い。これをお気に入りのカップに入れて熱湯を注ぐ・・・。いや、そうではなかった。ティーバッグの淹れ方は、湯を先に注ぎ、そのあとティーバッグを静かにしずめるのだ。以外にしられていないらしい。

こうして、しばらくまって、ティーバッグを引き上げる。貧乏性の僕は、このティーバッグで2杯は紅茶を飲んでしまう。こういうお気に入りのティーバッグは、なんだか捨てるのがもったいないのだが、他に利用する手段も思いつかないので、そのままごみ箱へ・・・。ポィ!

でも、ティーバッグだって、こういうお気に入りがあると、美味しく紅茶がのめるんだな。






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養壺台
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養壺というのを、あまり意識してすることはないのだが、お気に入りの茶壺は、丁寧に取扱いたいとも思う。だから、茶船を使う場合は大抵、壺敷という陸羽の茶芸で使う布でできた丸い敷物をしくか、あるいは、「養壺台」と呼ばれるものを使う。

この養壺台、はじめて見たときは、「剣山か?」と思ってしまったという形状をしている。いわゆるプラスチックの台なのだが、細い針状の突起が沢山出ていて、穴が開いているため、湯を上からかけてもちゃんとしたに抜けるのだ。

そもそも、これ、なんの為につかうのかというと、「養壺台」とあるように、茶壺をきちんと養う過程で使うということになる。うーん、分かりにくい説明だなあ。ようするに、茶船に茶壺を入れて上から湯をかけると。通常茶壷は、水没する。そうすると、湯の表面と茶壺の腹の接する部分に線がはいってしまうのだ。それを防ぐのが養壺台。

この上に茶壺を乗っければ、湯は下に抜け、茶壺が水没することもない。しかも茶壺の底に触れる部分もポイントでの接点となるので、茶壷への影響は最小限に留まるという仕組み。

なかなかの優れものであるのだが、難点は、そのデザイン。なんとも無骨なこのデザイン。もう少しどうにかならないものだろうか。折角素敵な茶舟を使っても、この養壺台だとなあ。結局これを使うときは,紫砂の茶船を使うしかない
のが、かなしいところ。まあ、安いから許してしまうのだけど・・・。



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オーガニック
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中国茶の農薬の問題、結構気になる人がいるようだ。農薬すべてが悪いわけではないのだが、農薬に害があるのは、基準以上の残留農薬が茶葉に残ってしまっていること。つまり農薬の使いすぎが問題なのだ。

そのような流れの中で、近年オーガニックがブームになっている。お茶のその例にもれず、オーガニックティーなるものが出回り始めている。しかし、このオーガニックっていうのが非常にくせもの。オーガニックの定義がどんなものだか、知っているだろうか?

実は、「オーガニックは無農薬であり、健康・環境によい」という解釈は、かなり乱暴なのだ。

米国の非営利の調査機関であるハドソン協会(Hudson Institute)の世界食料問題センター(Center for Global Food Issues)は、「自然の毒物-無農薬農業というオーガニックの神話(Nature's Toxic Tool: The Organic Myth of Pesticide-Free Farming)」という報告書の中で、オーガニック農業について、「農薬の使用を増加させるものであり、健康・環境に対する危険性は従来の農業よりも大きい」と警告している。なぜなら、オーガニックとは、通常、以下のとおり規定されているからだ。


1.生産圃場では、過去3年以上にわたり化学合成の農薬、肥料、土壌改良剤などを使用せず、有機的な手法で栽培していること。種苗には化学的な処理を受けていないものを使用し、遺伝子操作されたものは禁止する。

2.食品製造加工では、認証の原材料を使用すること。化学合成添加物・加工助剤などを使用せず、伝統的、自然な方法で製造加工されていること。

3.流通・保管では、一般の生産物と明確に区別され、殺虫剤などの化学物質の汚染から守られていて、そのことが確認できること。



特に、1.を注意深く読む必要がある。「化学合成の農薬、肥料、土壌改良剤などを使用せず」とそこには書かれている。なぜ、これが重要化というと、実は、化学合成していない自然農薬というものが存在し、その影響も無視し得ないほど体内に大きな影響を及ぼすからなのだ。

殺虫剤の58%に使用されている油・硫黄ともオーガニック農業で使用が認められているものであり、これら2つで農薬の使用量全体の23%を占めていると言われている。しかも、オーガニック農業で認められている農薬が必ずしも毒性が低いわけではないのだからこわい。たとえば、インドセンダン(neem)は哺乳類に対し毒性があることが実際に証明されている。

日本にも、オーガニックに関する認定基準や、認定団体が様々な作られているが、こういう点まできちんと審査されているのかは実は表面的には良く分からないし、そもそも開示すら行われていない。

したがって、オーガニックだから安全というのは、中国茶は危険な農薬が使われているというのと同じくらいかなり乱暴ないいかたである事がわかるだろう。

毎日口にするものだからこそ、茶の農薬のことは気になるが、そのために、オーガニックに走りすぎるのも問題だという事が良くお変わりいただけると思う。

消費者である我々が十分こういう知識を身に付けて、安心なお茶を選ぶ賢さを身につけたいものだ。
(遊笛山房 余香回味より加筆修正)



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中国茶の農薬について思うこと
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中国茶は農産物。農産物には害虫がつき物。出来る限り商品として綺麗な物を出荷したいと思う茶農家は、どうしても農薬を使うことになる。

しかし、農薬は、その許容度を越えると、害虫だけではなく、人間にも害を及ぼすことになってしまう。特に中国茶の農薬問題を考える場合、中国での農薬使用の基準と海外のそれとは大きな隔たりがあり、昨年も欧州への輸出が大幅に減少するなどの問題があった。今でも、農林水産省のウエブサイトには、この問題についての記事が掲載されている。

 農林省ウエブサイト
 

さらに、一時期の中国の新聞でも、国内の茶葉に農薬が含まれているという記事がいくつも見うけらたものだった。
例えばこんな記事がそれだ。→「京城市場六成有有機茶含有農薬

最近でこそ、大分話題的には減少してきたがいまだに中国政府の検査で引っかかるものも多いと聞く。

しかし、気を付けなければいけない。問題は、農薬そのものを使用することではなく、過度な農薬の使用による、規定以上の残留農薬が茶葉に含有されていることなのだ。もちろん、使っては行けない毒物を農薬として使用することは言語道断。ところが、農薬基準が曖昧で、使用できる農薬の範囲が広かったりすると、こういうことが時々おこってしまうから怖い。

では、この基準がどうなっているのかということはなかなか一般の消費者には分からない。
ちなみに日本の基準を調べてみると、食品衛生法という法律に行き当たる。

現在、日本では食品衛生法において定められる食品の規格の中で、食品に残留する農薬の基準が「残留農薬基準」と呼ばれている。残留農薬基準は、農産物に残留する農薬量の限度として定められているから、これを超えるような農薬が残留している農産物は販売禁止等の措置が取られることになるわけだ。

この残留農薬基準の対象となる食品は、国民が口にする食品の全てを対象としており、国産農産物、輸入農産物のいずれもが食品衛生法に基づく規制を受けることとなる。したがって、中国茶もその対象にはなっている。輸入されるお茶は、検疫所による港や空港に入ってきた段階での輸入品のモニタリング検査が行われ、基準に抵触する物は廃棄処分にされているのが通常だが、サンプリングの仕方にも若干不安がないでもない。

平成9年に東京都が行ったサンプリング調査では、残留農薬(殺虫剤)の検出された烏龍茶があるが、幸い残留農薬基準はクリアしていたようだ。

そもそも残留農薬の検査に関しては、2つの考え方があると思う。検査自体も、茶葉の抽出物の検査と茶葉自体を検査する方法によって、残留農薬の濃度は異なってくる。この当たりの基準がいまひとつ不明確だ。特に中国の緑茶の芽茶(龍井や碧螺春)などは料理にも使われますので、茶葉自体に含有される高濃度の残留農薬が気になる。

日本では、平成12年に「有機JAS表示制度」が導入され、有機肥料、無農薬の食品に有機JASマークが付されることになっているが、中国ではまだこのような制度はない。年々、浙江省を中心にオーガニック茶が研究され、栽培されるようになって来てはいるが、日本に輸入され消費者の手に届くときに、それがオーガニック茶であるかどうかはほとんど分からないというのが実情だろう。

もちろん、無農薬だけが良いとはいわない。農薬の中には、比較的害の少ないものもある。しかし、例えば産地の農家の顔が見えるお茶のような、もう少し、消費者にも判断できるような仕組みを作って欲しいものだと思う。いわゆるトレサビリティーの徹底ということになるのだろう。

もちろん、中国茶の全てが農薬で汚染されているなんていう誇大妄想的なことは考えていないし(台湾茶は比較的農薬管理がしっかりしているようだ。)中には素性のわかるお茶もあることはあるが、日々、おいしいお茶を鱈腹飲んでいるぼくとしては、こういう中国の新聞記事を読んでしまうと、消費者側にも自衛する能力が必要なのだなあと思ってしまうし、事実、安心できる業者を探さねばならない。

実際中国でもWHO加入にともない、無公害食品プロジェクトや農薬の管理強化、トレイサビリティーの確立等を進め、農産物の品質と安全性管理の強化に取り組んでいるらしい。しかし、そう言うものが日本にいる消費者の実感としては分かりにくいなあとおもうのだ。

しかも、中国の場合、まだまだ農民政策が立ち遅れており、国が懸命に無公害プロジェクトを進めても、農民サイドがそれに対応できていない場合も多いのではないか。

だから、まずは、日本の輸入業者の方々に、残留農薬の検査は是非とも行ってもらいたいと思うわけである。これから先、中国茶が日本の家庭において、常茶となるためには、このような問題からクリアして行かないと、これ以上の中国茶の浸透は見込めないかもしれない。

参考サイト:QING XIANGラボラトリー
       TOP>LABORATORY>チンシャンリポート






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蓋碗は熱い
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蓋碗はとても使いやすい。特に茶葉の大きなものを淹れる場合に、僕の場合は必携なのである。蓋碗は慣れればとても使いやすい道具なのだ。ちょっと舌コツさえつかめれば、どこでも簡単にお茶が淹れられる。

しかし、しかしだ。蓋碗の最大の欠点は、蓋碗はお茶を淹れるとき、熱い!ということ。とにかく、磁器製なので湯の温度を非常に伝えやすい。薄い蓋碗であればあるほど、持つ場所は熱くなっている。そこに指を添えてお茶を淹れるのだから、熱くないわけはない。

b20040221-02.jpgしかし、面の皮が厚くなるのと同じ原理で?!(笑)、蓋碗を持つ指の皮も、慣れによっては厚くなるらしい。そして持ち方を工夫すれば、どうにか持つことができるようにはなうようで、この熱さといのは、どうにか克服できるものだ。

ではどうすればいいのかというのは、文章ではうまく説明できないが、できる限り蓋碗に当たる指の面積を少なくするために、指を立てて蓋碗を持つことが重要だ。そして、茶を茶海に注ぐときには、手を向こう側に倒すのではなく、手首を時計と反対周りに曲げて注ぐとよい。

蓋碗の持ち方には、いちじきどこかのBBSで話題になったが、男持ち、女持ちなど、いろんな持ち方がある。慣れないうちに男持ちをすると、非常に熱い目にあうのでくれぐれも注意が必要である。基本は、女持ち(女の人だけがやっていい持ち方では決してないないので、男性諸君もご安心を)。中国茶藝師の実技などでは、小指を裏側に添えるなどのバリエーションがこれに加わる。

結局は茶芸と同じで、何事も訓練ということか・・・。




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蓋碗の謎
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蓋碗がこの世に誕生したのは何時ごろの頃なのだろうか。そもそも、この器は、はじめからお茶用に作られたものだったのだろうか。

四川省の茶館あたりでは、「蓋碗茶」というのが一般的で、昔から飲まれていたようなことが言われている。それに、もともと蓋碗は、清代では貴族がそのまま飲む茶器として利用されていたと言われている。

この蓋碗だが、基本的にはいわゆる白磁が使われている。

白磁といえば=景徳鎮といわれるほど、景徳鎮は有名な陶磁器産地。もともと、原料のカオリンが豊富に産出したため、唐時代の末から発展したこの地は、その後大窯業地へと変貌していったわけである。

もちろん、白磁は景徳鎮だけの特許ではなく、歴史的には、青磁から枝分かれして北斉初年には始められていたといわれている。(ただし、唐代の茶器としては、陸羽が茶経で「越州の瓷、岳州の瓷は皆青く、青ければ則ち茶に益す」と書いているように、青磁がメインだったようだ。)さらに耀州窯(ようしゅうよう)や定窯(ていよう)、鞏県窯(きょうけんよう)などが出現し、 そして各産地に拡散していくことになったらしい。

蓋碗が使われるようになる背景には、飲茶の様式の変化があったわけで、陸羽の時代の煮茶から宋代の抹茶、そして明代になって散茶が奨励されたために、泡茶法が生まれてくることになるわけだが、このような飲み方が生まれて、初めて蓋碗のような茶器も誕生したのではないかと思われる。

ただ、個人的にどうしても納得できないのが、散茶が明代になって初めて出現したわけではなく、むしろ、抹茶などに比べてプリミティブな製茶法である散茶は、もっと昔からあったはずで、ならば、それに見合った茶器もあったのではないのだろうか。

とくに庶民のお茶は、貴族の茶とちがって、散茶であった可能性が高く、そのための茶器もまた違うものだったのではないか。もっとも、だからといって、それが蓋碗を生む動機にはなってはいないかも知れない。なにしろ、今だに行き続けている、茶葉をコップに入れて湯を注ぐ方式、これがなんといっても手軽だから。

ならば、やはり蓋碗は明代以降に生まれた茶器なのだろうか・・・。








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所作の美しさと味わいの関係
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こちらの方と、こちらの方などとご一緒に、台湾陸羽茶藝の泡茶師、Kさんにお手前を習った。茶道を長年されているKさんの茶藝の手前は、非常に美しく、ほれぼれと見つめてしまった。

茶藝というと、最近はどうも見世物的なものが多くなって、特に大陸などではそのような傾向が見受けられるのだが、Kさんの茶藝はその点、味わいにも重点を置いているのが最大の特徴。

b20040219-02.jpg例えば、3煎淹れて、どれも味わいが同じになるようにすることを要求される茶藝。茶藝にそのような要素があるのならば、それは非常にすばらしいことだと思う。同じ味わいをキープするということは、もちろん、美味しく淹れることが大原則。それを見た目も美しく、おいしいお茶も淹れるとなると、それはもう、まいりましたというしかない。

実際にKさんの真似をしてお茶を淹れてみると、僕の場合は所作の美しい作法を行うというよりも、淹れる動作がつまずかないように、「作業をする」ということになってしまう。どうしても、次に何をするんだっけ?と頭の中で考えてしまうのがいけない。だから味わいを整えるのが二の次になってしまい、ついつい「作業」に没頭することになる。

これを流れるように、身体を緊張させずに、美しい所作で、しかも美味しく淹れるようになれるためには、これはもう、鍛錬あるのみである。

所作の美しさと味わいには直接の関係はないはずだけど、美しい所作で淹れられたお茶は、どこかそれだけで美味しいものでもある。人様に入れていただくとおいしく飲めるのだが、さらにこうであるということはない。

茶藝侮るべからず。
(下の画像は、我らがAさん)









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チーズとのマリアージュ
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時々「チーズと中国茶を合わせる」という企画に出会うことがある。どんなチーズがお茶請けとして合うのかという観点からだったら、面白い企画だとおもうのだけど、そもそも、オーソドックスなチーズとお茶をマッチングさせて、どうでしょうか?という企画は、個人的な感想としては、「それは無理だよな」といわざるを得ない。

なんで、こんな風に一刀両断でぶった切ってしまうかというと、実は、僕もやったことがあるから。(笑)

そうなのだ。チーズに中国茶を合わせるというのは非常に難しい。一般の乳製品とお茶のマッチングを考えるときに、やはり食文化の違いにまで発想の触手をのばさないと、たんなる「おもしろい企画」倒れになってしまうのだ。

もっとも、中国茶のカテゴリーもものすごくひろくて、中にはチーズが茶請けになっても飲めるお茶というものもあるのはたしかなんだけど、それって、基本的には焙煎が強かったり、発酵が強いお茶だと思う。すくなくとも緑茶や台湾の清香系のお茶にはチーズはあわないのではないかと。

きっとこういうのって、何でヨーロッパでは紅茶が一般的に飲まれたのかというのと関連があるのではないかなとおもう。もちろん、食べ合わせとか食文化が180度ヨーロッパと日本がちがうからとはいえないけれど、長年日本の食文化の中で地位を築いてきた緑茶が僕たちの味覚の中心にあって、その緑茶のテイストと西洋の食文化を象徴するようなチーズはマッチングしないのだろいということではないかなと思っている。

もちろん、木柵鉄観音、焙煎の強い水仙、岩茶、紅茶の類は、チーズもあうかなと思う。で、どのタイプのチーズが合うかというと、これはもう完全に嗜好の問題になってしまうのだが、Mont d'orがラプサンと合う(笑)。匂いはつよいんだけど、このチーズ、塩気があって、おいしいのだ。で、この匂いと対抗するために、ラプサン。なかなかの組み合わせだと思う。でも、普通はやらないか・・・。

プリーニ・サン・ピエールにあうお茶はないものだろうか・・・・。







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布目先生の思いで
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布目先生といえば、世界有数の中国茶書の研究家。ちょこっと中国茶に嵌った人ならば、おそらく先生の著書を目に通された方も多いはず。その例に漏れず、僕も一時期先生の本を毎日読み漁っていた時期があった。

今では岩波から「現代文庫」の一つとして再版されている「中国喫茶文化史」(当時は「同時代ライブラリー」所蔵)などは、ぼろぼろになるまで読み返したものだった。

そんな先生に大阪でお会いしたのは、先生がご逝去される前々の年。20年近くも毎週土曜日に大阪で陸羽の茶経などを読みつづけているという「読茶会」に参加させていただいた。

1時間かけて陸羽の茶経をどのぐらい読むのかとおもったら、なんとたったの1行。しかし、その1行には、さまざまな情報が含まれており、さまざまな同時代や時代が下った文献から、陸羽の時代の歴史的背景を紐解き、あるいは一つの言葉の持つ意味を丁寧に読解されていくその御姿は、久しぶりに大学のゼミにいるような知的好奇心を古い立たせてくれたものだった。

と、同時に、陸羽の茶経というたった7000字の漢字の情報に、これだけ多くの事柄が詰めこまれていて、それらを一つ一つこんがらがった糸を解いていくように読解しないと、その本質は分からないということに、感動と僕など生涯陸羽の茶経を読解できないのだろうなあというわずかな諦めを覚えたのを記憶している。

中国茶文化初学者のこんな僕にまで、非常に分かりやすく丁寧に説明してくださった先生の御姿を、今でもはっきりと思い出すことができる。

幸い、先生は僕たちにその成果である「茶経詳解」(淡交社)という著書を残してくれた。それによって、苦労せずとも、あの読茶会で先生が丁寧に説明してくださった事ことのエッセンスに触れることが出きる。

平野久美子さんによると、布目先生と共著であった「中国茶と茶館の旅」(新潮社)の改訂版が今年発行されるとのこと。この本で布目先生のお名前を知り、どんどん中国茶文化の深みに嵌った者として、先生のご本が長く読み注がれることを切に希望する。




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烏[山東]八仙
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茶さるさんのBlogで、凸ぷうさんが
単そう系には大きく分けて熟香系と清香系との系統がある(カメキチさんの分け方では)と思われますが、玉蘭香は清香系になるので青いかんじなのも最もだと思います。(ちなみに熟香系の代表は密蘭香です。)

と書いているが、たしかにそのとおりだろう。個人的には、黄枝香や玉蘭香などの清香系の単叢よりも、蜜蘭香などの熟香系の単叢が僕も好みだ。

で、この八仙。先日訪問したuf-fuのもの。華やかな熟香のお茶で、1煎目と2煎目の表情がまるで違う。4煎目ぐらいから落ち着いてきて、本来の姿を発揮するという感じだ。

正直言うと、八仙はそれほど飲みたいと思っていたお茶ではない。やはり単叢=蜜蘭香という図式が僕の中で勝手に出来てしまっているからなのだが、でも、この茶は、飲んで得したかなという感じだ。

単叢の中の多くは、香りと味のバランスがちぐはぐしているものがおおい。これは全く頂けない。香りと味のバランスが良いお茶こそ、銘茶なのだろう。

香りに重きが置かれる単叢なのだが、実は個人的にこのお茶の味わいが気に入っている。水仙種独特の苦味はやむを得ないとして、苦味以外の部分の味わいには、まるで糖分を沢山含んでいるような味わいの変化が潜んでいる。これだけたくさんあるお茶の中で、なぜこんな味わいを秘めているんだろうか。

でも、その味わいがあるからこそ、そしてその味わいが見事に香りとマッチしているからこそ、鳳凰単叢の魅力は尽きないのかもしれない。





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水の影響
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お茶を淹れるときに影響を受けるものとして、必ずあがるのが水。水の質によって茶の味わいが変わるのは、至極もっとものな事だ。なにしろ、茶湯の成分のほとんどが水分であるからだ。

ところが、問題となるのは、多くの場合、「軟水」か「硬水」かということになってくる。軟水か硬水かの基準は、水に溶けているミネラル成分。で、この硬水か軟水かという違いで何が問題なのかというと、茶葉から抽出される成分の水(湯)に溶け出す度合いが、ミネラルの含有によって異なってくるという点なのだろう。

たしかに、硬水の方が一般的には茶葉の成分が溶け出しにくく、同じ時間だけ茶葉を浸していても、茶の色が薄い場合が多い。茶の科学も多くの場合、この点に触れる。

にもかからわず、軟水硬水の飲み比べをする人たちのコメントとして多いのは、この茶が飲みやすかったかどうかという点なのだ。つまり、「硬水で淹れたお茶は、なんとなくリリカルで、硬水独特の硬さがあって、結構口にあった」とか、「軟水だと、なんとなく、ふんわりとして、やさしい感じだった」というのが多いのだ。

これは硬水軟水の茶葉成分の抽出力の問題ではなく、そもそもの水の性質によるところの問題なのではないかとおもうのだ。

つまり、そもそもの水質が、その茶葉の成分と融合して、茶湯となったのちも、その水にもともと含まれている化学成分が大きく味わいに影響を与えるということなのではないかと思うのだ。

たとえば、鉄分の多く含まれた茶は、なんとなく丸くなるということがいわれる。これも、鉄分がタンニンと融合して色は悪くするが、逆に渋みの成分タンニンと反応するので、渋みが緩和される。また、硬水の水に多く含まれるカルシュウム分は、時として茶の成分と融合する場合もあるらしい。

したがって、茶に適した水というのは、まずは、そのままでおいしいかどうかというのも重要な要素ではないかと思う。

ただし、水のまま飲んでおいしい水が必ずしも茶を淹れると茶と合わないということもあるから、水の世界もとても奥が深い。

いまだ良くわからないのは、なぜ酸素を多く含んだ水が茶に適しているかということ。汲み置きの水でも十分茶はおいしく入るし、ジャンピングさせる必要のない中国茶に水の中の空気の含有量が味に大きく作用するとは、あまり考えにくいのだが・・・。

まだまだ、水に関する探究は大きな興味の対象である。




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宜興の茶海
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凸ぷうさんが、「茶壺を養壺するとお茶がおいしく入るので、紫砂の茶海も養海するとおいしくなるのだろうか?」という疑問を提起されていらして、妙に関心してしまった記憶がある。たしかに、理論的にはそうなのかもしれない。

そんなことを考えたら、なんとも気になってしまって、でも、養壺の効果って、どうだろうか。茶壺の場合、まろやかにするというのはあるけど、茶海にまでまるやかになるのだろうか。だから、先日凸ぷうさんのその疑問をそのまま壺迷さんにぶつけてみた。答えは明瞭。

「養壺は、道具の遊びと考えたほうがよいでしょう。・・・(略)・・・あまりこだわっても仕方ないとおもいます。私はそこまでこだわるのなら、茶道具より、むしろ茶葉自体の質や水や火加減にこだわるべきだとおもいます。」

なるほど、なるほど。これで僕のつき物も落ちた、「御行 奉為-」という感じ。(笑)

でも、実は、僕は宜興で作られた茶海というのを持っていて、これを結構使っている。この茶海、「中国茶の本」にもさりげなく登場しているのだ。

段泥で作られたこの作家ものの茶海。大きさはそれほどない。巾約70 高さ約75で、容量が約140ccというところ。小さめの茶壺一杯分。ちょうど一人、二人でお茶を飲むのに良い大きさである。

茶壺のように、このお茶用なんて決めているわけではないので、いろんなお茶をのんでいるから、だんだん色も落ち着いてきて、良い具合になってきた。別に養海をしているつもりはないのだけど、結果的に、そうなってしまっている。で、おいしく入るようになったかというと・・・。どうなんだろう。良い道具を使うと、お茶もおいしくかんじられるのと同じ、そんなところだろうか。

手になじむ、お気に入りの逸品の一つである。



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蓋枕
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お茶の道具で僕の琴線にふれるものって、結構あるのだ。そんなものって、小物に多い。むかしからガラクタが好きだったなごりだろうか。

で、これは小さな陶片。いろんな形の物があるが、これは何に使うかというと、茶壺の蓋置き。

茶藝とかをやっていると、茶壺に湯を注ぐ時に、茶壺の蓋を置く場所が決まっていることが多い。陸羽は専用の茶托のような陶器の蓋置きを使っているし、香港雅博の茶芸は、3つ並べた茶杯の上に蓋を置く。それはそれでなかなか良い眺めではあるのだが、どうせなら、個性的な蓋置きというものが欲しくなる。

一番最初に入手したのは、竹製のもの。やや安定感に欠けるもので、見た目も今一だったので、購入したものの、あまり使っていなかった。

ところが、茶仲間のAndyさんが台湾で購入してくれたものが、なんともよい形をしていたのだ。円錐形の陶器の上部がすぽっと切り取られた形をしているこの蓋置き。有名な戴竹谿氏(唐盛陶藝)のデザインしたものだという話しをきいたことがある。真偽の程はわからないけれど、その重さといい、形といい、こういう小物はいくつあっても飽きない。

後ろの方にあるドーナッツ型のものなどは、宜興で作られたもの。デザインは、茶仲間の黄剣文さんが作家さんと相談して作ってもらったもの。なかなかの出来映え。

そのほかに、巷をさがすと、Formosa Tea Connectionのものもかなり優れている。まるで宝石のようなものがいろいろと。茶杯コレクターを目指すつもりが、どうも、このところ横道にそれてしまいそうだ。

ところで、この蓋置き、「蓋枕」という名前がついている。なんとも可愛い名前ではないか。





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何故泡はお茶をクリーミーにするのか?
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この話題は、ものすごく前にNiftyの茶の文化フォーラムでも話題になったことがあった。「何故、泡はお茶をクリーミーにするのか?」なぜこのような疑問が生まれたかというと、以下のような事象が掲げられた。

 ・ 抹茶を立てる時に、泡だったほうが飲みやすくなる。
 ・ ミルクティーを作る時、沸騰寸前まで暖めて泡を作るほうが飲みやすい。
 ・ テ・タリッ(マレーシアのミルクティー)は、いやというほど泡立てる。

たしかに、これらはいちいちうなずけるのだ。例えば、ティーバッグでお茶を入れて、そこに砂糖とミルクを入れてみると分かりやすい。これを単にスプーンでかき混ぜただけのものと、テ・タリィのように容器に入れてなんども別の容器に高い位置から移して泡立てたものを飲み比べるのだ。これが同じお茶かと思うぐらい、全くべつもののやわらかくクリーミーなお茶になる。

抹茶の場合もしかり。細かい茶筅で沢山泡を作ったほうが、抹茶の苦味がなぜか緩和される。これは完全にカフェオレと同じ原理なのではないか。

例えば、スタバなどに行くと、カフェオレは、泡立てたミルクにコーヒーを入れてくれる。スペインなどでも、カフェコンレーチェをオーダーすると、ミルクとコーヒーを高い位置からカップに注ぎ込んで泡立てて出してくれる。

したがって、この泡というものが、ショックアブソーバーのようなそんな役割をはたしてくれているのだろうか。泡の正体は空気。空気を混ぜると水も美味しくなるといわれるが、なぜ、空気の粒が沢山混ざっていると、味わいが柔らかくなるのだろうか。

泡は気体クッションにより空間をつくり、味の成分が味覚に直接濃厚に当たらないようにするとともに、口当たりを柔らかくする効果をもっているというのが、いまのところの科学的な説明のようだ。だから、泡が消えにくいものの方が(つまり沢山泡だったほうが)、柔らかい味になるということらしい。

泡といっても、結構おくが深いらしい。






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倣古壺その2
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倣古壺の話題ばかりで申し訳ないが、手元にある倣古壺が2つ。ちょうど兄弟か親子のような大きさの違う2つの倣古壺がある。先日、とあるところで見せてもらった、うっとりするような満天星の地肌の倣古壺に比べると、これなどはもう、その辺に転がっていそうな、なんの変哲もない倣古壺で、大きさも現代風にとても小さい。

しかも、中の茶漉し部分が、一時期宜興でも日本からのリクエストで作られていた球型の茶漉しになっているので、きっと日本向けに作られたものなのかもしれない。

でも、この形、いつまで眺めていてもぜんぜん飽きのこない形をしているのだ。この形を考えた人がいったい誰なのか、いまのところわからないようだが、壺迷さんによると「邵大亨(しょうだいけい)」のものが一番初期のころのものだという。

この人は、清朝道光から同治(1831-1874)のころの人で、茶壺作りに関しては、同時において一番の腕の持ち主だったとか。宜興の知事が、彼の茶壺をほしがっても彼がつくらなかったので、彼を牢屋に閉じ込めて無理やり茶壺を作らせようとしたが、頑として応じなかったという潔癖の人でもあったそうだ。

彼の五代目という作家「邵逸平」という人が現代でも活躍しているそうだが、まだ氏の倣古壺にはお目にかかっていない。

やはり倣古壺といえば顧景舟(こけいしゅう)大師のものが一番形が良いと思う。彼の作品を模倣した現代作家の作品があればいいのになあとおもう今日この頃。でも、やはり小壺がいいのだか・・・。











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佛海白毫餅茶
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これは黒茶にははいらないのだろうなとおもいつつカテゴリーをとりあえず黒茶にしたが、どう見ても白毫のお茶をそのまま餅茶にしたもの。もう8年ほど、いろんなお茶を追いかけていますが、こんな餅茶を見たのは初めてだった。

実はこのお茶、雲南六大茶山茶業有限公司という会社が作ったもの。この会社じたい非常に新しい会社だそうで、餅茶製造で非常に有名な孟海茶厰の工場長であった「阮殿蓉氏」が独立した会社をたちあげたのだそうだ。

特徴を出さないと生存競争に生き残れないと、プアール茶の6大台産地の六茶山それぞれのお茶を餅茶にしてセット販売したり、中国人らしい商売っけを出した商品を世に送り出しているのだが、これもその代表作。

雲南省の上質の緑茶、たとえば、南糯白毫などの香りを髣髴とさせる香りと味わい。これを寝かせるとどんなお茶になるのだろうか。とても楽しみである。








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人頭茶?
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いえいえ、これは人頭茶ではない。なにを隠そう、安渓鉄観音である。一体全体どういう状況になっているかというと、安渓鉄観音の製茶工程の中で、包揉というのをやるのだが、その過程で出来あがったお茶のボールがこれ。

「安渓鉄観音の底力」で書いたように、安渓鉄観音の製茶工程では、かなりの力を使って、この包揉という作業を行う。包揉は、パラシュートのような布に一定量の茶葉を包んで、きりきりと巻き上げていき、それを手足や機械で転がすように揉捻する作業。これによって、茶葉の成分が出やすくなるのだが、この包揉作業を途中で中断すると、こんなボールになる。

まるで、雲南省のプアール茶の巨大な沱茶のような見てくれをしている。普通の安渓鉄観音の製茶工程では、このボールはもう少し大きなボールになる。これはあくまでも包揉をするとこんなボールになるという見本のようなもの。

製茶工程は、このあと、このポール状の茶葉の固まりを「玉解」といって解す工程が加わり、玉解したものを、再度包揉するという過程を何度か経て、くるくるとまるい珠状の茶葉が出来あがるのだ。

包揉の過程で相当程度の力が加わり、茶葉の膠質などが外へでてくることから、このボール状の茶葉はなんとも蝋のような、あるいは乳のような香りがする。このような工程を経ることで、安渓鉄観音独特の乳香がうまれるのだということを実感させるような香りだ。

このボールは、無茶空茶 館の黄安希さんの行う中国茶会という講習会の教材として使われる。このようなものがきちんと使われる講座には、尊敬の念をもって、接しなければいけない。

がしかし、下世話な僕としては、いったいぜんたいこのお茶がどんな味になるんだろうと想像してしまうのだ。この乳香が保たれた美味しいお茶になるのではないかと、ついついそんなことばかり考えてしまう。お茶が美味しいかどうか、やはり僕の興味の対象は、そんなところにあるのかもしれない。



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陶作坊のマグカップ
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会社では、なんの変哲もない白磁のマグカップに茶葉をそのまま入れてお茶を楽しんでいるが、家では、陶作坊のマグカップ(同心杯と呼ばれる。)を愛用している。大ぶりのマグカップで、陶器そのものの口さわりになるので、繊細なお茶にはあまり向かないが、どちらかというと、焙じ茶系の[火共]焙の強めのお茶には、このぐらい頑丈で無骨なマグカップが一番よいと思う。

最近では、一人でパソコンにむかっているときなどは、小さな茶杯に茶を入れてちびちびと飲むのも面倒なので、こんなマグカップ一杯のお茶を作って、PCの前に座ることが多い。

茶漉しがついているので、そこにかさのある茶葉をひとつかみ。ばさっと放りこんで、熱湯をじゃぶじゃぶ。そんな風にしてお茶を飲むために作られた器という感じだ。

陶作坊の茶器はどれも、そんなやさしい無骨さを持っている。このほかに、煮水器と茶缶が我が家にはあるが、どれも、曲線がやさしい。それでいて、力強さをもったシェイプにしあがっているところが、陶作坊の魅力なのかもしれない。

茶壺作家を目指したという陶作坊のオーナー林榮國氏の思いが、こんな柔らかさと無骨さに現れているのだろう。





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地肌の美
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僕の好きな倣古壺。比較的大降りの、でもとても形の良い倣古壺に出会った。しかも、これがすこぶる地肌の美しい茶壺だった。

むかしから、梨皮と呼ばれる土の地肌に微細な粒々が施された茶壷が好きだったのだが、残念ながら、いまだこれといったものを持っていない。どうしてもこれだと思うものが高かったりするからなのだが、それでも、紫砂にこのように調砂されたものは、とても暖かく、やさしい表情をしている。

壺迷さんに教わったところでは、明朝のものは採掘した紫砂泥を分別しなかったり、紫砂泥の粉砕が人で作業だったために、粒粒がさまざまな大きさになったためにこのような地肌をしているものがあったのだそうですが、今では、わざと細かく砕いた紫砂泥の中に大粒の砂を混合するのだそうだ。

特に、この茶壺の場合は、違う色の砂粒をまぜているので、「満天星」といってもいいかもしれない。大好きな倣古壺で、しかも満天星。これでもうすこし小型のものであれば、その場で持ち帰ったに違いない。いつか、こんな茶壷にであえるだろうか。




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餅茶のパッケージ
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餅茶というのは、昔、雲南省の茶馬古道をチベットなどに向けて運ぶために、持ち運びやすくするために固められたといわれている。もちろん、餅茶だけではなく、磚茶、方茶といった四角に固められたものや沱茶と呼ばれるお碗型のものなど、いろいろとあるが、こと、この餅茶は、非常に古いものが保存されたりしている。

この餅茶の場合、古いものの見分け方として、そのパッケージのデザインの歴史的変遷が追及されているのだが、そのデザインの変遷はなかなかに面白い。

このようなことは、このサイトに詳しいが、とくに、同慶茶荘、敬昌茶荘、宋聘茶廠といった茶荘のビンテージ茶のパッケージは、非常に趣がある。

早期紅印圓茶などは、同じ[孟力]海茶廠のパッケージでも、微妙に色やデザインが異なっていて、それが年代判定の一つに使われたりしている。

最近では、六茶山のそれぞれで作られたお茶を違う色のパッケージをつけて、七子餅茶のように竹の皮でつつんだものまであって、みているだけでも楽しいものがある。

このパッケージは、老地方茶坊の見聞さんに見せてもらったもの。高山喬木雨前餅茶。最近野生茶などがはやっていて、喬木型の野生茶の餅茶は非常に珍重されている。これもそんなお茶なのかもしれない。ただ、このような野生茶は、なぜか大葉種の喬木になるので、タンニン分が多い。だからこそ、寝かせることでまろやかになるのだ。

このお茶も、あと、30年ほど寝かせれば、非常にまろやかなお茶になるに違いない。いまから、そんな先のお茶の味わいを楽しみにしながら、自宅で保存してみるのも面白いかもしれない。

いずれにせよ、このお茶のパッケージ、かなりいかしていると思うのだが。




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赤坂雪華堂の栗甘納豆
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栗の甘納豆は、お茶請けに最適だ。ホクホクとした栗独特の味わいと、口の中に広がる茶の味わいが見事にマッチする。甘納豆というと、あまり歯ごたえのないものが多いのだが、この栗の甘納豆は、歯ごたえもあり、丸ごとの栗の味わいが優れている。

小布施の栗かのこをもうすこし甘くしたような味といったらよいのだろうか。このような味わいのお茶請けには、もちろん、お茶は、青茶が良い。やや中火ぐらいの度合いで火入れされた台湾の高山茶などが、なんといっての良いとおもう。

こういうお茶請けの出てくるお茶会なら、ほいほいと出席してしまいそうだ・・・。(笑)









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茶葉蛋のマーブル柄
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お茶請けにもなるし、もちろん茶菜の一つでもある「茶葉蛋」。味がじんわり染み込んだものが大好きだ。もともとおでんのタマゴがすきなのと、にんにく・生姜・長ねぎ+醤油で煮込んだ玉子(我が家ではにんにく玉子と呼んでいる。)が大好物なので、茶葉蛋にも当然のことながら嵌ることになった。

茶葉蛋の良いところは味だけではない。そう、あの奇妙なマーブル柄なのだ。茶葉蛋を煮る時に、まず普通にボイルしたゆで卵を作っておいて、殻をスプーンのうらがわなどで軽く叩いてヒビを入れる。ひびのはいった玉子を殻ごと煮て、出来あがった段階で殻をむくと、見事にマーブル柄のできあがりだ。

もちろん殻がついたまま煮るので、にんにく玉子のようにしっかりと味が玉子全体に染み込むまでには至らないのだが、くっきりと跡ができるほど煮こむので、味わいも良い。

マーブル柄は、なんとも不思議で、イースターのいろとりどりの玉子以上に、デザイン的に優れていると思う。これを一口齧ると、なんともいえない八角のなどの香辛料の香りが広がって、シアワセな気分になる。

先日、北海道へ行った際に、とある茶館で鶉の玉子の茶葉蛋がだされた。これがなかなかいけるのだった。こんど我が家でもやってみよう。

ところで、この茶葉蛋に合うお茶はなんだろう。個人的には木柵鉄観音あたりかなと思うがどうだろうか?




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小さな早期壺
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我が家には、なぜか小さな小さな茶壺が3つある。しかもそのうちの2つまでもが早期壺なのだ(もう一つは李昌鴻さんの工房で作られたもの)。かろうじて実用に耐えうるその茶壺たちは、でも、使うというより飾るという感じがぴったりくる。茶壺は使うもの。だから、なんとしても、いつかは使いたくなるのだが、うーん、何を飲もうかな?と手のひらの中で転がしているうちに、ついつい、ペットのような感じで、使うのがもったいなくなる。

どの茶壺も非常に土がいい。さすがに早期壺である。なぜ、早期壺の土がいいのかは今ひとつわからない。早期壺でも土がいいといわれるのは、いわゆる文革壺と呼ばれるもの。この時代、土の掘り方が手掘りからダイナマイトに変わったにもかかわらず、なぜか良い土が使われているという。しかも、大量生産された茶壺にである。

春風秋月のMr.Andyに譲ってもらったこの画像の茶壺は、そんな文革の時代のものだそうだ。どっしりとした見てくれの割りに、軽い。そして肌触りがよい。好きではない水平壺の形状も、こんな小さな茶壺だと、なぜか許せてしまう。

そしてもう一つのものは、海風號の20年ほど前の、比較的新しい、早期壺の中では、最後の時期のもの。これも小さい。その小ささが気に入って連れて帰ってきた。

いつか、この3つの小さな茶壺を並べて、お茶の飲み比べをしてみよう。60年代後半の茶壺、80年代後半の茶壺、そして現代の茶壺。味は違うだろうか?




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蓮華マジック
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お茶の香りを楽しむとき、多くの人は聞香杯を使うと思う。もちろん、これが無くても茶杯の残り香で、十分香りを楽しむことができる。

最近、ことある毎に出会うのが、蓮華。恐らく台湾の茶農などが、手軽に香りを確認できるということでやり始めたのではないかと思うのだが、普通のご飯茶碗に茶葉とお湯を入れて、蓮華の裏側で香りを楽しむことができる、なかなか楽しいやり方なのだ。

手軽だし、気取ってないし、このやり方なら、どこででも楽しめてしまうのが嬉しい。

たぶん、日本でこのやり方をしているお店に最初に出会ったのは、三宝園だったと思う。阿里山の茶農出身の春子さんが、持ちかえったばかりのお茶を、こうして試飲させてくれた。

蓮華の裏側の香りは、聞香杯よりも早く拡散してしまうのだが、広がりのある香りが楽しめる。慣れないと、蓮華についた茶をだらだらとこぼしてしまうのだが、それでも、この蓮華からたち上がる香りは感銘を受ける。

ただし、一つだけ注意が必要な部分があって、それは蓮華の底の形と素材。日本で売られている多くの蓮華は、底が平らで、上薬がかかっていない。これだと香りが揮発しにくいのだ。出きれば、底の形状は緩やかに丸く、上薬がかかっているものを探す必要がある。

なかなか日本では出会えずに、台湾へ行く友人に探して欲しいとお願いしたりするのだが、気に入ったのに出会えずにいる。竹里館のスタッフAさんが使っている蓮華、これが優れものなので、彼女が台湾に行く時にでも密かに、「買ってきて」とお願いしようかと思っている。

蓮華マジック、一度試してみて欲しい。




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なぞの紅茶
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とある方から、紅茶を送っていただいた。見た目は、紅茶?という形をしている。単叢、あるいは岩茶?!というふうにも見えなくもない。最近の英徳紅茶には、こんな形をしているものもあるので、もしかしたらと思ったのだが、福建省のお茶だという。とりあえず飲んでみようということで、蓋碗で紅茶であるということを前提に淹れてみた。

はたして、このお茶は、紅茶ではあった。紅茶ではあったという言い方をあえてしているのは、茶の色も、味わいも紅茶なのだが、どう考えても、このお茶の香りは、青茶である。しかも、最近の台湾のお茶で見られるような新品種に共通する、不思議な香りがふんわりと漂ってくる。

残念ながら、この紅茶に関するデータは、僕の茶知識のポケットの中にはまったく見出せなかった。特に、福建省の紅茶の中で、こんな紅茶はまったく見たことがない。福建三大紅茶でも、武夷の紅茶でもない。いったいこのお茶の正体はなんだろ。

そのうち、このお茶を送ってくださった方に確認してみようと思う。でも、こういうなぞのお茶を飲むのは、とても楽しい。知識が増えるというよりも、味わいや香りに、もっともっと広がりが出来る。今までの香りや味わいの記憶に、新たなものが追加される。

僕などは、この世にあるであろうお茶のまだまだ本の一部しか飲んでいないのだということを、こういうお茶を飲むと、実感できる。そんなところにも楽しみがあるのだ。本当に中国茶は、奥が深い。



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