
今日、どうしても桜餅が食べたくて、人形町に買いにいった。甘酒横丁の入り口にある老舗の和菓子屋さん「玉英堂」。
「桜餅くださあい!」と元気良く言ったまでは良かったが、「どっちにします?」と聞き返されてしまった。「どっち???」そうなのだ、この和菓子やは、京菓子老舗だったのだ。
つまり、この店には、関東の桜餅と関西の桜餅が両方並んでいたのだった。
この際、僕的には迷わず関西バージョンだろとおもい、「道明寺ください!」。
実はなにを隠そう、道明寺は初体験であった。桜餅といえば、これとかこれ。
しかし、画像のように、道明寺はまるで別物だった。共通点は餡子がはいっていることと、桜の葉が巻いてあること。どうしてこんな違いが出てきたんだろうか。とても不思議だ。
このお茶に、深[土川]で購入してきた明前龍井をあわせていただく。幸せなひと時だ。こういうのを口福というのだろう。和菓子があってよかった。
玉英堂
住所:中央区日本橋人形町2-3-2
電話:03-3666-2625

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この方は僕の直接の師匠ではない。でも、この方がいなければ、僕が中国茶に興味を持つことは多分なかっただろう。その意味でもこの方には頭が上がらない。
長沙灣の本店でたまたま再会した陳老師。相変わらず元気そうに独特のやり方でお茶を入れてくれた。流れるような所作が美しい彼の茶藝は、台湾の陸羽のものとも違って、男性的だ。特に香港式に茶杯をサーブするところなど、かっこいいの一言である。こんな所作を身に付けたくて、彼の店に通ってしまうのも良いかもしれない。
日本人観光客御用達だの、高い割りにはおいしいお茶が少ないだのと、最近あまりぱあっとした話が聞こえてこなかった茶藝樂園。それでもここのお茶は僕にとってのお茶の原点だから、こうやって帰ってくると妙に懐かしい。
そんな僕に、老師は3つのお茶を入れてくれた。一つは金萓。これは残念ながら僕が金萓を好きではないというだけの理由で、僕には評価されなかった。ちょっと可愛そうかも知れない。
次ぎは、凍頂茶王。
香港で飲む台湾のお茶は、どことなく、やはり香港の味わいがするのだが、とくに老師が指導して香港で火入れさせたという凍頂烏龍の茶王は、完全に香港の味に変身していた。50gで1000HK$という値段は、多分僕も手が出ない。でもそれだけに、ややストロングなそれでいて甘やかな独特の余韻が後まで残る、おいしいお茶であった。
そして最後に秋韻王。このお茶は、懐かしい記憶がある。乳香花というお茶でスタートした僕の中国茶遍歴は、常に安渓鉄観音が真中にあったのだが、この秋韻王が実は乳香花よりも原点に近いのだ。僕が秋茶が好きだといってはばからないのは、このお茶が原点にあるからだといえる。いわゆる僕にとってのスタンダード的なお茶といって良いかもしれない。もちろん毎年味や香りも違う農産物だから絶対的なスタンダードでは有得ないのだが、そこはいわゆる感覚的なもの。ネーミングもいいよね。(笑)
これは多くは語らなくてもよい、とても穏やかで平和な気分になれるお茶だった。もちろん、最近もっともっと良いお茶を沢山飲んできたので、レベル的にはすごい!とは思わないけれど、これこそ、ほっとできる、とても大切なお茶ということだろう。
老師と再会して、そしてまた秋韻王とも再会できて、本当に嬉しい時間だった。

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他にも、ここのプーアルが、アイスにしたら美味いという情報、あったらぜひ、教えてください。
とのことなので、おいしいアイスプーアールが飲めるお店を紹介する。ただ、日本ではない。(爆)
これは金鐘のPacific Placeの地下に昨年新たに出来たMing ChaのTea Bar。
高級食材のお店が並ぶデパ地下のような場所に、カウンターだけのTea Barがあるのだ。だれでも買い物途中にふらると立ち寄って、きちんとお茶の勉強をしたスタッフが入れたお茶で一息付けるという、非常にありがたい場所である。
ここでは、熱いお茶はもちろんのこと、冷たいものも置いてあり、このアイスプーアールがその代表。きちんと目の前で急須を使って入れたプーアールをアイスにしてくれる。
オーナーのLeo氏との約束にちょっとだけ遅れて、あわてて飛んでいったので、とても熱かったのだが、このアイスプーアールは、そんな身体を優しく冷やしてくれた。
「アイスプーアールオーレなんていうのも、案外良いんじゃないの?」なんて、カウンターの若いスタッフにいうと、「プーアールにミルク?」と驚かれた。邪道かもしれないがこれが案外いけるんだなあ。「そう。ちょっと甘くしてね。」
Leo氏が「メモメモ。アイスプーアールオーレ。ちょっと甘くして。メニューに加えよう!」と笑ってた。もし、メニューにそんなのが増えていたら、僕の影響だ。まあ、それはないだろうが。(笑)

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この茶壷に見入る少年。これは誰でしょう?
ご存知の方は、コメントくださいね。すごく有名な人です。(笑)
でも、こんな姿を紫砂で作ってしまう人もすごいなあと関心してしまう。これは香港茶具文物館所蔵のもの。

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朝起きて飲茶なんておなかに重くてできないやねえ、と思ってた。でも、やはり香港の朝、陸羽でまったりとすごさないと、これはもう罰が当たってしまうに違いないと自分を奮い立たせ、朝まだはやい時間に陸羽の扉をくぐった。
店内には、地元のおじさんと思われる人がまばらに座っている。みんな新聞片手に、おばさんが運ぶ点心を数種類つまみながら、茶をすする。
もちろん、ここのお茶は何も言わないとポーレーが出てくる。給仕のおじさんが厚手のコップをお茶であらい、そして茶注いでくれる。頼めば蓋碗でお茶を楽しめるようだ。
まだ眠気の覚めない頭に、おばさんの「蝦餃!」という言葉が反響する。
香港はどこへ行ってもがやがやとうるさい。それが香港らしさなのかもしれないが、陸羽の朝は妙に静かだった。みな思い思いのスタイルで、思い思いのことを考えながら朝食の時間をすごしているからだろうか。
多分、もう少し時間が過ぎると、だんだん店内にも活気が満ち溢れ、まったく違う様相を呈すのだろう。が、しかし、そんな時間よりもちょっとだけ早い、静かな時間。
なんだか朝からとてつもない贅沢をしてしまったような、そんな錯覚に陥る時が、ここには流れていた。それが今回僕が体験した陸羽茶室の朝だった。

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ここだけは行っておきたかった「茗香茶荘」。尖沙咀からバスで25分ぐらいの九龍城。下町の風情が生き残っている町の路地にある茶荘だ。
一歩はいると、地元のおばちゃんが買い物籠片手に、鉄観音を買っていく。これも地元のおじさんがふらりと入ってきて、お茶を飲んでいく。
そんな風景画当たり前に繰り広げられる老舗の茶荘。
棚に並ぶお茶の値段は、香港の中心部と比べると、半分ぐらいかと思えるような地元密着型の価格設定。とくにがぶ飲み用のポーレー茶は、売れ筋らしい。

ふらりと入ってきたおっちゃんに、ご主人が「マイケルの知り合いの日本人がいまきていてさあ!」なんていっているらしくて、そのおっちゃんも、にこやかに僕に向かって片手を挙げてくれる。
なんだか、下町の人情があふれかえるお店だった。
こんなお店なのだけど、ちゃんと隠し玉を持っている。日本でもその名前を知られるようになった「冠軍茶王」。昨年からさらに良い茶葉を使ったいわゆるスーパー冠軍茶王なんていうのが、それだ。値段ももちろん他のお茶に比べて倍近くするが、これがまたおいしいのなんのって。こんなにおいしいと、倍という値段がぜんぜん気にならない。なにせ、倍と言ったって、100g数千円だ。
こんな隠し玉があり、なおかつ、庶民のお茶も扱うのが、老舗の貫禄といったところだろうか。
こんな老舗の茶荘にふらりと訪れて、日がな一日お茶する生活、やめられないだろうな。九龍城の人たちがなんともうらやましい午後であった。

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普シ耳茶はむずかしい。どれが本物でどれが偽者かまったく見分けが付かない。特に、包装されてしまっている餅茶は、崩して試飲させてもらえないだけに、これを買うのはもう、賭けのようなものだ。
香港でも深センでも、台湾での普シ耳茶ブームが飛び火し、再ブームになっているようだ。もちろん、以前から香港の茶荘の店先には、餅茶が並んでいるのだが、特に最近では、みんなが福建省にまで足を伸ばして、良いお茶を入手しようとしているのだという。
街中の老舗の茶荘で、すごいものを見せてもらった。茶葉の表面は良いお茶で多い、中はかびてしまうような悪いお茶を詰める。もちろん包装紙や中に埋め込まれる紙は、古く見せかけたもの。こういうのは、プロでもだまされることがあるのだという。
特に危ないのが深センの茶荘。ここには偽者が平気で出回る。それほど安くない値段で売られているので、香港の人もだまされるのだとか。こんなところに僕のような素人が迷い込んだらひとたまりもない。
そんなことを回避するためには、普シ耳茶のことをいろいろと勉強しなければならない。
不思議に思ったのは、香港ではあまり「生茶」とか「熟茶」という言われ方をしていない。でも、漢字で筆談するとわかってはもらえる。生茶とは青餅のことだろと。

それにしても、どうしてこんな風に香港では普シ耳茶ブームが再燃したんだろう。確かに飲茶屋さんなどでは、いまだに普シ耳茶がだされるのだが、これらがそんなに上等なお茶だとは思えないので、おそらくそんなブームは、飲茶とはまた切り離された場所で起こっていることなのかもしれない。
いずれにせよ、香港の茶荘や茶館では、普シ耳茶に関する研究が熱心に行われ、普シ耳茶つくりの実習なども行われている。とても興味深いことだ。
いろいろと飲み比べて、研究するとおもしろい題材なんだろうね、普シ耳茶。

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深センにある「茶葉世界」という茶葉や茶具卸売り市場に龍井堂というお店がある。名前のとおり、龍井をメインの売り物にしている。このお店の軒先に、すでに今年の龍井が入荷したというしるし「龍井上市」の文字が躍っていた。

一番安いのは大仏龍井。いわゆる新昌のお茶。こいつは普段のみにちょうどいい。このくらいの値段なら、キロ単位で購入して、家でがぼがぼ飲みたいという感じだ。
真ん中のランクは、日本で特級クラスとして売られている茶葉。お茶問屋だけに、価格はお手ごろ。香りも良いし、味も悪くない。商売するのなら、これぐらいがいいのだろうか。西湖龍井とのこと。
しかし、最後の一番良いお茶はすごかった。「明前の獅峰龍井」。こいつは、もう茶葉をみてクラリときた。めちゃくちゃきれいにそろった茶葉。香りも甘い。味わいも甘く、どこと無くはかなげでありながら、強さを秘めている。ナッティーな香りは、今ひとつだが、とにかく甘いのが気に入った。

ということで、クラリと来た直感だけで、このお茶はTCCのみんなへのお土産にすることにした。もちろん、このクラスのお茶、日本では手が出ないだろう。深センだから、購入できたお茶。まあ、一期一会というではないか。

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前から良いお店だときいていた「三思堂茶藝」。ここのお茶をはじめて飲んだのは、1998年。秋茶の鉄観音がなかなかおいしかったのを記憶している。
あれから5年。久しぶりに訪問するお店は、そんなに変化が無いような気がした。Andyさんの目の小じわが若干増えていたぐらいだろうか。

Andyさんが日本語OKなので、日本人御用達のお店になってしまっているのだが、そんなことを横においておいても、ほっこりできるお店の一つではある。
面白いのが、最近の香港での普シ耳茶の再ブーム。授業料を目一杯取られてしまうお茶だけど、それだけに、とても面白いお茶だとAndyさんも行っていた。6月には雲南省で自分のお茶を作りのだとか。ちょっとうらやましい。
銅鑼灣にいったら解りにくいけどたずねてほしいお店の一つ。

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香港へ到着!
香港でデザートというと、許留山や糖朝などが有名だが、満屋というデザート屋もおいしいと聞いたので、早速出かけてみた。
しかし、店の中は若い女性や若いカップルばかりで、40を過ぎたサラリーマンの親父が一人でデザートを食べる雰囲気ではない。残念だが店内で食べることはあきらめて、テイクアウトしてホテルで食べた。これがその画像だ。
香港らしい色をしたマンゴープリンで、エバミルクの量は少ないかなという感じ。確かにフレッシュマンゴーがいろいろと入っているが、今ひとつ固めの仕上がり。味は悪くないのだが、香港のマンゴープリンという僕の頭の中にあるイメージとはちょっと違う味わいだった。
帰りの香港空港で、時間があったら許留山のデザートにもトライしてみようと思っているのだが、師匠のAndyさんは「おすすめできません!」ときっぱりいうので、期待しないでトライしてみよう。
香港滞在中、あとは、エッグタルトに挑戦だ!

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出張で香港へ行く。
香港といえば、僕がお茶にはまった場所。とても久しぶりの香港で、すっかり出張ということを忘れてしまいそうだ。(笑)
一応、数件の茶荘は除いてみようと思っている。あわせて、時間を作って香港大学の美術館と茶文物館は覗いてこようと思う。
ついでにアジアンデザートが楽しみだ。マンゴープリン、豆腐花、ツバメの巣のデザートなど。
事前の準備は、うしこさんなどからいろいろと教わった。オクトパスカードも借りて準備万端。
会議に拘束されるので、どれだけ回れるか分らないが、地下鉄で出かけられる範囲で、あちこち回ろうと。
楽茶軒の葉さんと連絡をとったが、残念ながら、僕が香港にいる間、彼は韓国へいくそうで会うことができない。でも、Yukiさんが会ってくれるという。
また、茗香茶荘の若旦那の陳さんも、香港にいないというので、広東語しかできないお父さんとおじさんが対応してくれるというので、筆談にトライだ。のーとみさんから冠軍茶王のリクエストがあるので、ここは行かなければならない。
ということで、しばらく書き込みができないかもしれないが、いざ!香港へ!

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アジアンデザートの師匠で、茶友のAndy.T氏は、いつも季節になると電話で凍頂茶葉生産合作社にお茶をオーダーする。このお茶をいつも少しばかり、おねだりして分けてもらっている。
11月に作られた台湾の青茶。同じところのお茶で、焙煎の濃淡のものを飲み比べようとそのままにしておいたのだが、そろそろ緑茶の新茶の季節。飲むのならおいしいうちにと、この杉林渓を飲んだ。
杉林渓は、もう日本でもすっかりポピュラーになった高山茶。南投縣竹山鎮龍鳳峡茶區で作られる、すっきろりとした透明感のある味わいのお茶である。海抜は1650mとかなり高地で作られ、品種は軟枝烏龍(青心烏龍と基本は同じ。凍頂関係者は、軟枝烏龍と呼ぶ。)。
発酵は30%程度で、焙火度は中焙火、いわゆる半熟茶に属するお茶と、発酵が20%程度の焙火度が軽焙火の生茶のもの2種類を飲み比べる。

体が自然に受け付けるお茶が、そのとき飲みたいお茶だと思うのだが、まさに、中焙火のお茶がこのところ僕にあったお茶になってきている。この変化はいったいなんだろう。
火入れの違いでまったくお茶の表情が変わるのは、今までも様々に体験してきたけれど、高山茶をこのように飲み比べたときに、線の細さを感じるお茶の場合は、やはり一定の火入れをしてあげたほうが、おいしく飲めるのだろう。
ただし、例外があって、梨山だけは、どんなことがあっても清香でないとだめなのだ。不思議なこと。
こうやって、新茶の前に過ぎ去ろうとする冬茶の季節をしのんで、おいしい冬茶を楽しむのは、また至福の時間である。

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和菓子が大好きだ。和菓子ならだいたいなんでもOKという無節操さが、僕の信条だ。
で、これ。桜の季節には、非常にマッチした桜餅。
そういえば、巷の桜もちらほら咲き始めた。そんな中、先日、K君が桜餅をお茶会に持参してくれた。残念ながらお茶を飲まないお茶会だったので(笑)、会の最中には食べる機会を逸したのだが、会が終わったあと、これだけをいただいた。
うん!おいしい!
で、ここでK君がみんなに疑問を呈した。「ええ?みんな桜の葉っぱ食べないの?」
いやいや、実は、僕も桜餅の葉っぱは食べるのだ。基本的に葉っぱが巻いてあるものは、柏餅以外はそのままたべてしまう。が、このときは、残念ながら直近で食べた青黴チーズのにおいが口の中に残っていて、どうもそれと桜の葉があわなそうだったので、ぺらりと葉っぱをとってしまったのだ。
でも、この葉っぱ、食べない人もいるんだろうな。
結構、加賀棒茶には、味だとおもうのだが。
これを読んでくれた人、あなたは、桜餅の葉っぱ食べますか?食べませんか?

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中國茶のお茶請けにぴったりなのが、なぜか乾燥フルーツ。乾燥フルーツといって一番最初に頭に思い浮かぶのが、乾燥マンゴーと乾燥無花果。これらはかなり好みだ。いろいろと食べたけど、台湾で食べたのが一番おいしかった。でもどこの産だかはまったく解らん。
で、これ。枝についたまま乾燥された干し葡萄。これがまたおいしいのだ。
以前、リーフルで販売していたのを好んで食べた。最近はワイン好きにも好まれているようで、ワインのオンラインショップ(たとえばアルパージュなど)なんかでも入手できるようになってきた。千疋屋(恵比寿ATRE店)でもうっているらしい。
ワインにもあう枝付きレーズンだが、これは中国茶にも結構あうのだ。この干し葡萄に合うお茶は、比較的味わいのしっかりしたものかもしれない。
本来お茶は、清飲(茶だけ飲むこと)が一番だと思うのだが、食い意地の張っている僕は、ついついお茶請けに手が出てしまう。そんなとき、この干し葡萄は欠かせない。これだけ食べてもおいしいのだから、ついついやめられなくなるのもやむをえないか・・・。
ちなみに、これ、恵さんがもってきてくれたもの。Foodexでもチーズのブースで売ってたっけ。ごちそうさまでした。

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テイスティングは、目的によってやり方が変わってくる。
ワインの場合が典型らしい。
例えば、ソムリエのテイスティングは加点法なのだそうだ。
お客さんにワインを勧める時に、その個性や良さをワインの外観、香り、味わいから判断し、それを言葉を尽くしてお客さんに伝える必要があるからだ。
透明度、色合い、感覚そんなものを先ずグラスの中の液体のなかから見出さなければ行けない。そして香り。香りの強弱、香りの質、香りの傾向を刻々と変化する多様な表情のなかからひきだして表現する。さらに味わい。口当たりの良さ、強弱、アルコールの具合、苦味、酸味、収斂味などさまざまな複雑に絡み合ったものたちを、ほどきつつ、そのなかから、そのワインの良さ、個性を見つけていく作業。
それは、決して欠点をみつけるのではなくて、そのワインのもつ良さを見つけ出してあげる作業となる。

これは品質管理の目的で品茶が行われるからなのだろう。そのお茶の悪いところをお茶の表情のなかから抉り出して減点していき、残った良いものをチョイスするという方法。
それはそれで、非常に重要なことだろう。
いままで、僕らがやってきた品茶は、どちらかというと従来の茶の品茶法だったのではないか。お茶の中に潜む欠点をあげつらい、良いお茶か悪いお茶かを言い当てる。
でも、僕らは品質管理人でも品評会の審査員でもない。良いお茶も悪いお茶も、出来れば楽しく飲みたいと思う単なる茶人。であるのならば、僕たちがやるべきなのは、良いところを見つけ出す品茶なのだろう。
もちろん、ワインとお茶では、かなり違いがある。葡萄の産地や品種など、管理方法が画一的に決定される場合が多いワインの場合は、スタート地点での認識の共有化というのがかなり進んでいる分野だと考えていい。一方中国茶の場合は、同じ茶名のものであって、認識の共通化というのは非常に難しい。品種というキーワード、あるいは産地というキーワードはあるにせよ、作り手の意図一つで、同じお茶が何十にも変わってしまう。
そんなお茶に、ワインのような「標準」をあたえることは所詮むりなのだろう。でも、参考にはなる。縛られるのではなく、そんな表現方法もあったりするということを、頭のなかで思い描きながら、おもいのままに品茶してみると、キット世界が広がるような気がする。

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雲南省の緑茶が好きだ。雲南省の緑茶の多くは、大葉種といわれる大きな茶葉。大きな茶葉だと、タンニンなどのカテキン類が多く含まれるので、比較的渋みが多くなるのだが、雲南省の緑茶、そんなことはあまり気にならない。
毛峰系のお茶といえば、代表的なものに、安徽省の「黄山毛峰」がある。芽を中心に一芯ニ葉で摘み、白亳の多いものが良いお茶とされている。
雲南省のお茶は、福建省の白毫銀針の原料である政和大白茶や福鼎大白茶とかけ合わせた品種がつかわれているということを聞いたことがある。なるほど、白毫も多い。見た目もやや黄山毛峰には似ていなくもないか。
白毫が多いととろりとした甘味を感じることが多く、タンニンの強さをバランス的に均衡させる。飲んでいて、すっきり感を感じることのできる緑茶だといえよう。
このお茶の最大の魅力は、その香りだ。果実系(柑橘系)の独特の甘味と香りが口の中に広がる。この香りはどこから生成されるのだろう。フレッシュなものほど、この香りが強く立ち上る。
いちど、ビニールの袋で1月ぐらい放置したことがあったが、これは自殺行為であった。香りはくすみ、別物に変化してしまっていた。
雲南省では、「雲南緑茶」の総称として「[シ眞]緑」という名前がつけられているが、この雲南毛峰は、[シ眞」緑のうちの高級茶なものの総称らしい。だから、このお茶の素性、すなわち産地や品種を特定するのは難しい。せっかくこんなおいしい緑茶があるのだから、その素性はしっかりと伝えて欲しいものだ。その意味では、消費者にとっても、トレサビリティーは、重要な情報源ということになるのだろう。

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個人的には「金の烏龍茶 黄金桂101」の次くらいには好きだ。
と、のーとみさんが書いている「二度うま烏龍」は、残念ながら飲んだことがない。僕が一番好きなのは、やはりなんといっても「金の烏龍茶」だったりする。
過去、AAJのガイド記事でいろいろと缶入りの中国茶についてレポートしてきたけれど、一番茶葉を抽出したときの味に近いのが金の烏龍茶。
安渓鉄観音と黄金桂。缶入りのは色種なんて入ってたりしたが、やはり安渓鉄観音と黄金桂だけのがいい。以前、これの茶葉が販売されていた。ティピオのティーバッグがこれに近い味をしていた。同じ伊藤園のものだからだろうか。
聞茶とか熟茶とか、烏龍聞茶とかのレポートを書いたので、じっくりとこれらのお茶を味わったのだけど、でも、やっぱり、金の烏龍茶だなあ。(笑)

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今日は台湾龍井の新茶にトライ。このお茶は大陸の龍井とはまるで違う形。もちろん、製茶法は鍋で押しつぶすという意味では似ているかもしれない。
形が違うように、味わいも違う。もっと感覚的には泥臭いというか、まだ未完成というような印象のお茶なのだ。龍井の製茶法の初期の段階で台湾に製茶法が伝わって、本家の龍井が進化する中で、そのままの状態が維持されてしまったような。
それって、まるで宋代に日本に伝わった抹茶法のようだ。もちろん、日本における抹茶法はどんどん進化して、一方の中国における抹茶法が途絶えてしまったのとは、ぜんぜん違うのだけれど。

このお茶も、台湾碧螺春と同じように台湾の三峡で作られる。品種も同じく黄柑。製茶法の違いなのだ。でも、この製茶法の違いが決定的に味わいを異なるものにする。ややタンニン分を多く含んでいるような印象を受けるのは、単なる気のせいだろうか。
台湾の緑茶の新茶を他のお茶よりも早く飲むなんて、ちょっと今年の緑茶の楽しみ方が例年と違ってくるかもしれないなあ。楽しみ楽しみ。

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今年、3月8日に製茶された台湾の碧螺春が届いた。非常に緑のきれいな、香りの良いお茶であった。そのままの状態で口にいれて、ぽりぽりと茶葉をかじると、とてもメリハリのある、新茶の味が口の中に広がった。
台湾の緑茶は、とても独特だ。台北縣三峡鎮で作られるこのお茶は、青心柑種という品種で作られる緑茶。最も若く柔らかい先端の嫩芽には、白毫がたくさん含まれている。
ガラスのコップで入れると、きれいに茶葉が開いて、その緑色の茶葉にしばし見とれる。
送ってくれた人によると、「天候も降水量も順調で、昨年より質の良いお茶が期待できそうです。」とのこと。清明節前のお茶を明前茶というが、本来の明前茶は、清明節の5日ほど前から摘まれた茶のことを言うのだそうだ。今の時期のお茶は、3月20日の春分前のお茶だから、分前などと呼ばれることがある。
そんな分前のお茶を楽しめるなんて、なんと贅沢なのだろう。日頃の行いの賜物だろうか(爆)。

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香港で初めて出会った中国茶は、茶藝楽園の「乳花香」だった。当時、中焙煎の香りの良い鉄観音として、日本でも愛好者が少しいたお茶だった。
その後出会ったのが、雅博茶坊の「雅博茶王鉄観音」だった。これは茶藝楽園の乳花香よりもやや焙煎が軽く、より花の香りのするものだった。同じ鉄観音なのに、どうしてこんなに味や香りが違うのだろう。これが、僕の中国茶の入り口だった。
その後、やはり茶藝楽園の「秋音王」や「酔貴妃」などの鉄観音、英記茶荘の「安渓鉄観音」などをあれこれ飲んでみた。当時の僕は、香港流の濃厚な焙煎のお茶はどうも自分には合わないと思っていた。
でも、Niftyで知り合って僕のMLに参加してくれた諏訪のMOMOさんが、その後送ってくれた炭火焙煎の冠軍茶王で、濃厚なお茶も、なかなかいいではないかということを知った。
もちろん、冠軍茶王は、今では知る人も多い、茗香茶荘のヒット商品だ。このお茶には、軽く焙煎の施されたものと、炭火で強い焙煎が施されたものがある。いまでも、個人的には、前者の軽い(中程度)焙煎のものが好みで、毎シーズン、MOMOさんのお世話になって送ってもらっている。
安渓鉄観音は、徐々に台湾の影響で焙煎の度合いが軽くなっている。でも、こういう香港で茶荘が独自の焙煎を施して販売しているお茶は、台湾茶ブームになっても、僕の中でのブームは絶対になくならないだろう。始まりのお茶である安渓鉄観音。結局いつも戻ってくるのが、この安渓鉄観音なのだから。

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早いもので、もう早生の緑茶の声が聞こえ始めた。先日のリーフルのダージリンファーストフラッシュが、めちゃくちゃ早いと思ってたけど、確かに僕もすでに雲南省の緑茶「雲南毛峰」を飲んでいるのだから、早すぎるということはないのだろう。
去年も届いた竹葉青。今年はちょっとグレードの低いものだが、早くも届いた。四川省の早生の緑茶。つくりは龍井をほっそりさせたようなお茶。香りも香ばしくて、がらすのコップで淹れるとなかなかおいしいお茶。
これからいろんな緑茶がとどく。とてもうれしい季節が始まる。そんな季節の頭に、今年もこの竹葉青が届いたのは、とてもうれしいことだ。

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昨日は、とても懐かしい人に再会した話。でも、今日はちっとも覚えてくれない人の話し。
臺灣區製茶工業同業公會の理事長の徐さん。偉い方なのだ。この方が、僕のことをちっとも覚えてくれない人。
実は、数年前に台湾へ行った時に、しゃおしゃんの前田さんと一緒に桃園の茶業改良場へ行った。夜遅くなったので、どうしようかと思ってたら、「台北まで帰るから、車に乗せていってあげるよ」といって、数名で台北まで送ってくれたのがこの人だった。
車中、台湾語、英語、日本語が飛び交う、とても奇妙な道中だったが、僕は彼が運転する車の助手席で彼からいろいろと英語でレクチャーを受けたのだった。「ミスターひらた、台湾のお茶を勉強したかったら、台湾語を勉強しなくちゃいけない」と僕を諭したのも彼だった。車から降りる時に「出会った記念に」と、彼の工場で作られたという四季春を半斤も頂いてしまった。
ところが、翌年彼とばったり静岡で出会った時に、彼はすっかり僕のことを忘れていた。ちょっと残念だったけど、これで僕のことを覚えていてくれるだろう、そう思って、名刺交換をした。
さて、翌年(昨年のこと)、同じようにフーデックスで彼と再開して、親しげに話しかけたら、彼はまた僕のことを忘れていた。うーん、ちょっとショックかな。彼の日本語は、徐々にうまくなっているのだから、僕のことも覚えておいてよと思った。
そして、今年こそ!とおもったら、案の定、誰だっけ?という顔をされた。うーん、やはり茶の取引をしない限り、年に一回会うか会わないかの僕のことなんて、覚えていてくれないのね・・・。(笑)
絶対に来年こそ!

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今日、とても懐かしい人に会った。5年ぶりだろうか。本当に懐かしくて涙がでそうになった。その人こそ、僕にチャーモンオータムナルのおいしさを教えてくれた人。
そのときのその人のやさしいお茶の淹れ方に、すっかりダージリンのおいしさを見直してしまったのだった。実は、ひそかにあこがれていたんだよね。その人のこと。あははは。
で、その人に今年のファーストを進められて、一つ返事で買ってしまった。だって、おいしい香りしてたんだ。でも、その人はショップにいないそうので、なかなかお会いできない。ちょっと残念。
今年の中国茶はちょっと遅くなるらしいが、インドの紅茶はこれから旬のようだ。
P.S.
今日は短くかけたかな(爆)。

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だから、おりおりに茶園まででかけ、自分が販売するお茶がどのような状態にあるのかをつぶさに見て回る。今回もそんな画像をメールで僕に送ってくれた。
この画像は、彼が手掛けているお茶の一つ。登録品種でありながら静岡市水見色のみで栽培される「摩利支」という品種茶の茶園である。こうやって茶商の目からみてもすばらしいと思える茶を丁寧に扱う彼の姿勢は、今の茶業界にあっても、非常に貴重な存在なのだ。

最近では、さらに「大葉製法」という製法にもチャレンジ。これは台湾の阿里山包種茶のような作りになっている。茶葉がそのまま復元できる日本茶製法で、香りもとても良い。
また、彼のお茶は、トレサビリティーを大切にする。摘み取った年月日や生産者、生産地、品種にこだわりを持っているので叶うことだ。しかもこのことを逆手にとって、最近では日本茶の「ビンテージ」にも挑戦をはじめている。日本茶といえば、フレッシュなものが好まれる。春に摘んで秋に口切というのはあるが、年をまたいでその先まで保存するという考え方は基本的にはない。これは緑茶であるがための宿命のようなものだった。しかし、彼はあえて、それに挑戦しているのだ。
この辺のことは、また別途彼にいろいろ話しを聞いてみたい。
それにしても、最近日本茶も面白い状況になっているようで、とても楽しみだ。

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フレーバードティーというのは、基本的には中国茶の花茶以外はほとんど飲まない。その昔、フォーションのアップルティーにはまっていたことがあったが、その後は、特に人工的に香りをつけた紅茶というのはあまり気がすすまない。
6年ぐらい前、メゾンドユーロンで食後のデザートの際にライチ紅茶が出されて、おいしかったのを記憶しているが、それ以降、自分で買うことはなかった。
昨日、オールアバウトジャパンのガイドの集会があり、雑貨ガイドの江沢さんに「いちご紅茶」というのをもらった。最近は、グレープフルーツだのココナッツだの、いろんなフレーバードティーがあるので、いちごというのはそんなに驚かなかった。

まず、茶葉だが、これはアッサムだろうか?非常にしっかりした茎も混ざる茶葉であった。そのまま香りをかぐと、結構きついいちごの香り。
これをそのまま清飲すると、香りと茶のバランスがちぐはぐになりそうな気がする。でも、ミルクティーならば、このバランスが結構取れるようになるようだ。
まろやかな、味わいにアクセントを加えるのが、なんと「フリーズドライのイチゴフレーク」。見た目もきれいなのだが、このフレーク、甘酸っぱいのである。この甘酸っぱさが、なんといっても、甘い香りの紅茶の味を引き締めるのだ。

だから、僕もこんなふうに、味と香り、そしてそれらのバランスをとるように工夫されたお茶は、あってもいいと思うのだ。基本的にはフレーバードティーは苦手だが、なんだか楽しくておもしろいお茶だった。
江沢さん、感謝です。
ちなみに、このお茶は、ここのもの。こんど時間があったら覗きにいってみたいお店だ。

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一枚の茶餅をみせてもらった。たとえば昨年作られた生茶の青餅に比べると、まるでその茶餅は、すっかりからからに干上がってしまったかのように、その重みが軽く感じた。まるで、紙のようなのだ。
120年、これほど長き時代を経たお茶は、存在することに価値があって、おそらくお茶としての価値は、もうないのではないかと、そのはかない軽さを手にとって感じてしまった。
が、しかし、これだけ長き時代をへて、今なお僕の目の前にある茶餅は、僕が思っていたのとはまるで違う味わいをしていた。
じんわりと、染み出してくるような滋味、口当たりのまろやかさ、香りはやさしい普シ耳茶の香り。
これだけの長い時間を、このお茶はどのように変化してきたのだろう。
120年前というと、ドイツのベンツがガソリン自動車の第一号をつくり、自由の女神の除幕式があり、初めて内閣制度が発足した1886年のこと。
中国は、大清国光緒12年。西太后が活躍した時代である。
こんな時代に作られたといわれる一枚の茶餅。それだけで、なんとなく歴史をさかのぼり、その当時の片鱗をこのお茶の味わいの中に探したくなってしまうというものだ。
正直に言おう。ものすごくおいしいと思えるお茶ではない。すでに、寿命は終わりかけている。きっと、もっとおいしい茶餅はいろいろとあるだろう。
しかし、こんな茶餅の存在に、良い時間をすごさせてもらったと感謝をしたくなるお茶であった。

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地肌の光沢のすばらしい茶壷がある。この地肌の美しさは何時までもみつめていたくなる種類のものだ。
一つは李昌鴻大師のもの。そしてもう一つが徐秀棠大師のもの。だから、どちらも手に入れることがためらわれるほど高級なものである。
これらの茶壺に共通なのが、そのサイズが大きいことだ。まるで紅茶のポットのように大きい。これらの茶壺は、明らかに「鑑賞すること」が目的で作られているのではないかと思うほどである。

僕たちが普段使っている小さな茶壷では、表現しきれない持ち味を、大きなサイズの茶壺では、出しやすいのかもしれない。事実、小壺よりも明らかに地肌の光沢の面積が大きいため、全体にしっとりした印象を得ることができる。
こういう茶壺たちは、ときどき、飾ってあるところへいって、じっくりと目の保養をさせてもらうのが良いような気がする。きっと、「使うもの」としての茶壷としては、もてあましてしまうに違いないから。

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この方やこの方など、TCCのいつものメンバーで安渓鉄観音をいくつか品茶した。品茶は小さめの白磁の蓋碗に、およそ7グラムの茶葉を入れて、熱湯を注ぐ。蒸らし時間は案外いいかげんで、目安。最初はお腹になにも入れていない状態だったので、比較的軽めに。でも、みな、結構ハードだったよう。
同じ感覚の茶をいくつも飲み比べると、結局自分の好みであるのか無いのかでそのお茶を選別してしまいそうになってしまう自分に気づく。僕の場合、茶を商っているわけではないので、品茶の目的は自ずとそれらの茶の比較になる。似たようなお茶を比較することによって、それぞれの違いがどこにあるのか、それを自分が好むか好まないか、そして、このような違いは価格と比例しているのか、そもそも一体どこに原因があるのかというようなことを「感じる」のが目的になる。
お茶は楽しまないといけない。でも、その楽しみ方にはさまざまなバリエーションがあって、人それぞれだろう。僕にとっては、こんな品茶も、非常に楽しいお茶の楽しみ方の一つである。

今回品茶した安渓鉄観音のうち、多く提供してくれた愛里さんによると、福建省安渓の「鉄観音種」と呼ばれる茶は、13の品種が存在するらしい。
13種類もの品種をプアーな舌で比べられるとは思わないけれど、似たような茶葉が如何してこれだけ違う表情をするのかを探る手がかりになるとおもしろいと思う。
結局、品茶した結論として「あのお茶が一番おいしかったね」ということになったのだとしても、一番美味しかったと思ったのが何でかを知ることに、こんな品茶の意義が有るのかもしれない。まあ、言ってみればある種の知的好奇心を満たすためのお遊びなのかもしれない。で、その「一番おいしかったお茶」を、こんどは、じっくりとのんびりと、それだけで飲んでみたいと思うのだ。
今回の品茶で一番思ったのは、「火入れの重要性」。飲んだお茶のほとんどは、安渓の現地では完成品とされているものだ。でも、長年香港の安渓鉄観音に親しんだ僕たちの認識としては、完成品ではないのかもしれない。なぜならば、茶を商う人たちが自らの手で火を入れて味を作る工程って、とても重要だと思うから。
今回のお茶は、たとえば台湾でいうところの生茶にあたる。なかには、茶荘に出荷する段階の毛茶(荒茶)とも思えるような青い安渓鉄観音もみうけられる。しかし、愛里さんによると、たしかに台湾の影響で仕上げが軽くなっているけれど、それはそれとして、安渓ではこれがきちんと火入れをした商品として完成した安渓鉄観音なのだという。だとしたら、その完成品であるところの安渓のお茶を仕入れ、さらにそれを加工して販売する香港の茶荘の技は、なんとすごいのだろう。
香港式鉄観音では、これらをいかに商品としての「ホッとする」お茶に仕上げるかが重要となる。これはひとえに茶荘の老師の腕にかかっているとさえいえる。
もちろん、最後に飲んだ賽茶王などのクラスのお茶は、それで完成品と見るべきなのだろうが、青すぎる安渓鉄観音は、火が入ったほうが、なんだか飲みやすいような気がするのだ。青い安渓鉄観音が好きな僕としては、なんだか奇妙な発見だった。

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去年の凍頂烏龍茶騒ぎは、まだまだ記憶に新しい。またぞろ、花粉症の季節になって、この話題が復活しつつある。お茶のことを良く知らない人は、「花粉症に効くメチル化カテキンは凍頂烏龍茶しかはいっていないんだって。」と騒ぐ。一体全体、どこでどうまちがって、「凍頂烏龍だけ!」となってしまったのだろう。
そもそも、最初にあったのは、「抗アレルギー作用を発揮するといわれるメチル化カテキンが、べにふうきと呼ばれる日本茶に多く含まれている。」ということが公表されたということだった。べにふうきは紅茶用品種だから緑茶には馴染みがなく、その生産量は日本の作付け面積からいっても、微細にしかすぎない。本当は「おくひかり」などの品種はすでに一定の量産が果たされているのだが、これに目を向ける人はあまりいない。
これらのお茶の次ぎに、「青心大有」と「大葉烏龍」に一定量のメチル化カテキンが含有されていることを知ったマスコミが、なぜか、「花粉症に凍頂烏龍が効果を持つ」と番組で取り上げた。
ところが、問題は、この番組のなかで女性アナウンサーが発言したといわれる「効くのは凍頂烏龍茶だけですからね!」ということば。これがそもそもの問題の発端だったわけだ。
台湾の烏龍茶が効くといってくれれば、まだ「ふーんそうか」で終わったのだが、「凍頂烏龍」と銘柄を指定してしまったところに、多くの問題点が秘められているのだ。
疑問はつきない。
一体如何して凍頂烏龍茶が引っ張り出されたのか。これは、おそらく研究者の一人の発言として「市販されている凍頂烏龍を分析の材料の一つとした」と伝えられたからだろう。しかし、どの研究でもそこには、「凍頂烏龍」ではなく、青心大有か大葉烏龍の名前が掲げられているだけなのだ。凍頂烏龍はこれらの品種で作られているのだろうか?恐らく作られていたとしてもその量は非常に少ないのではないだろうか。あくまでも凍頂烏龍のメイン品種は、青心烏龍であるはずである。
さらに、「では、青心烏龍種にメチル化カテキンは含まれているのか?」という疑問が沸き起こる。これには明快な回答がまだ示されていない。青心大有と青心烏龍は、似て非なるお茶だ。
では、「凍頂烏龍だけ!というからには、青心大有や大葉烏龍という品種で作られる包種茶や緑茶にはメチル化カテキンは含まれないのか?」という疑問はどうか。いやいや、絶対にそんなことはない。少なくともカテキンが酸化発酵でその成分を変質させるのであるならば、凍頂烏龍茶よりも発酵度が低いはずの包種や緑茶の方がより効果は大きいはずである。
それにそもそも番組が意図した「凍頂烏龍」の定義はなんだったのだろうか?通常は南投縣鹿谷周辺の農園で作られるお茶というのはある意味、凍頂烏龍を定義するには良いものだと思うが、昔からこの定義は非常に曖昧だ。凍頂烏龍は、むしろ、定義の難しいブランドのようになってしまっている。南投縣全域で作られる凍頂烏龍式半球型包種をもって凍頂烏龍と呼ぶ場合すらある。この場合は、品種は特定されない。つまり金萓や翠玉などの品種もそこには混ざるということだ。
こんな状況の中で、なぜ「凍頂烏龍だけ」ということになってしまったのか、未だに僕は理解できない。
もし凍頂烏龍茶のメイン品種である青心烏龍種にメチル化カテキンが含有されているのなら、騒がれるべきは、よりメチル化カテキンが含まれているだろう「文山包種茶」であるはずなのだが。
それだけ日本人は、マスコミに汚されているのだろうか。
花粉症対策だけでお茶が語られるのを僕は好まない。もしそうであるのなら、凍頂烏龍よりも遥かにメチル化カテキンがふくまれているべにふうき、べにふじ、べにほまれ、おくみどりに注目したほうがよほどましではないか。

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