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不昧公ってなにものだったのか?
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自由闊達な茶を生んだ不昧公。宝暦元年(1751)に江戸赤坂邸にて生れ明和4年(1767)17歳で出雲松江藩を襲封したといわれる。

近習頭から茶の湯を勧められ、精神修養のため禅道とともに導かれたという。明和7年(1770)20歳のとき、茶道を論じ天下国家を治める道を説いたというから、早熟だったのか・・・。

いや、人生50年の時代から170年なので、人生半ばだったのかもしれない。それはともかく、侘び茶の根本精神をこの年で知っていたとは、只者ではないのだろう。

石州流茶道を学び、石州流不昧(ふまい)派を作り上げたといわれるが、松江で有名なぼてぼてちゃも彼の考案した茶だといわれている。

大名茶ではあったが、茶事の奢侈贅沢を戒め、茶道は修身治国の資たるべきをといたといわれる優れものだったらしい。

ところで、彼の一番尊敬すべき点は、茶菓子に妥協しなかったと言われる点だろう。松江にたくさんの和菓子が残されているのは、ひとえに彼の功績だといえる。

質素、質実剛健、でも和菓子好き。憎めない奴というところか。



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日本橋コレド内の皆美にてランチ最後に出てきたのがこれ。風流茶人として名高い、出雲松江藩七代目藩主・松平不昧公ゆかりの抹茶自由闊達な茶人であったとか松江は平田のそれこそ遠い祖先がいた地らしい。和菓子の街でも知られ、出雲大社のある神話の街でもある。25年前の夏
2005/06/12(日) 22:09:36 | Junk Box Photo & Eating Tracks

  

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