
倣古壺の話題ばかりで申し訳ないが、手元にある倣古壺が2つ。ちょうど兄弟か親子のような大きさの違う2つの倣古壺がある。先日、とあるところで見せてもらった、うっとりするような満天星の地肌の倣古壺に比べると、これなどはもう、その辺に転がっていそうな、なんの変哲もない倣古壺で、大きさも現代風にとても小さい。
しかも、中の茶漉し部分が、一時期宜興でも日本からのリクエストで作られていた球型の茶漉しになっているので、きっと日本向けに作られたものなのかもしれない。
でも、この形、いつまで眺めていてもぜんぜん飽きのこない形をしているのだ。この形を考えた人がいったい誰なのか、いまのところわからないようだが、壺迷さんによると「邵大亨(しょうだいけい)」のものが一番初期のころのものだという。
この人は、清朝道光から同治(1831-1874)のころの人で、茶壺作りに関しては、同時において一番の腕の持ち主だったとか。宜興の知事が、彼の茶壺をほしがっても彼がつくらなかったので、彼を牢屋に閉じ込めて無理やり茶壺を作らせようとしたが、頑として応じなかったという潔癖の人でもあったそうだ。
彼の五代目という作家「邵逸平」という人が現代でも活躍しているそうだが、まだ氏の倣古壺にはお目にかかっていない。
やはり倣古壺といえば顧景舟(こけいしゅう)大師のものが一番形が良いと思う。彼の作品を模倣した現代作家の作品があればいいのになあとおもう今日この頃。でも、やはり小壺がいいのだか・・・。

にほんブログ村
| ホーム |