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クリスマスモード
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クリスマスというイベント、キリスト教徒でもない僕には、その深い意味というのはよくわからない。特に、最近ダン・ブラウンの書いた「天使と悪魔」、「ダ・ヴィンチ・コード」を立て続けに2冊(上下巻合わせると4冊)もよんだからなおさらだ。自分の生活のなかに、うわべだけのイベントはあるものの、キリスト教という信仰はない。

NASDで研修を受けていたとき、同僚のMikeに「僕は毎週教会へいくんだ。君の神様は仏陀かい?」と聞かれたことがあった。教会へいくといったときの、彼の誇らしげな顔をみて、つくづく僕の中に宗教を信仰する心が無いことを思い知った。

「特に信仰している宗教はない」と答えたときの、彼の疑念の目は、いまだに忘れることができない。だからついつい言訳をした。「僕が信仰しているのは自然だ。いうなれば、大地の母が神というところだね。」Mikeは、なんとなくそれでも納得できない様子だった。

「日本人の多くは、生まれると神道の社にお宮参りというのをするんだ。大学受験の時なんかも、天神様という神道の神様にお参りすることが多い。でも、神道を信じているかというとそうでもなくて、結婚式の時はキリスト教の神の前で誓いを立てる。そして、お葬式は仏教式であることがおおい。そういう意味では、無信教なんだろうね。でも、きっと、それぞれの人の中に信じる神様というのがいて、僕の場合、それが自然だということさ。特定の宗教を持っていないという意味では、多くの日本人はプリミティブなんだろうけど、それで幸せなんだよね。」彼の驚いた顔は、いまでもよく覚えている。

信じる宗教がない事を恥じる必要はない。自分の中に、信じられるものさえ持っていればいいのだから。むしろ、さまざまな宗教を受容できる日本人の無節操さを愛すべきではないのだろうか。キリスト教のイベントだって楽しんでしまえる無節操さを。

むしろ、特定の宗教のもつ排他性を考えれば、無節操と言われようと、さまざまな宗教のイベントを受容できるほうがましなんだろう。何千年前から繰り広げられる戦争の多くは、その根底に宗教が見え隠れしている。だから僕たちは自分の信じるものを信じればいいのではないか、いまでもMikeに話した話は、自分の本音であったと思っている。

だからこそ、クリスマスツリーを眺めながら、茶をすするということができるわけなんだが。



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