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中国茶、紅茶、日本茶、お茶のことをあれこれと。
湯をかける行為
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お茶を入れる時に、茶壷に湯をかける。多分中国茶独特の煎れ方だと思う。今時ではあまり言われなくなったが、以前友人に「おまえ中国茶好きなんだってな。あの急須に湯をかけるやつだろ」と良くいわれたものだ。

なんとなく、中国茶を淹れる一連の作業の中で、この湯をかける行為というのは「独特」の行為で、個人的には面白いとおもっているし、多分おいしく淹れるやるかたとして、これからも続けるんだと思う。

がしかし、茶壺の上から湯をかける効果の真偽は、本音ベースではちょっと疑問に思っている。

真冬の冷え切った室内で茶を淹れるのなら、湯をかける行為はそれなりに意味を持つかもしれない。案外湯は冷めやすいものだ。だけど、普通の室温で、茶器をきちんと暖め、沸騰した湯でお茶を淹れる場合、保温効果を増すために上から湯をかけることが、どれほどの効果を発揮するのだろう。

湯を入れてから茶を注ぐまでの時間なんて、ほんの1分程度の時間。茶壺は保温性が磁器などに比べて優れているので、熱湯を使えば急激に温度が下がるということはそうそう考えられない。それに多くの紫砂の茶壷の場合は、一定の厚みをもっているので、断熱性もあるはずだ。

例えば紅茶の煎れ方には、キルトなどで作られたポットをすっぽりと包めるTEA COSYというもので保温をする。考えるに、紅茶の場合は、ポットが大きいので空気に触れる面積が大きいため温度低下が早い、ポットの素材が磁器であることから、保温性が低い、紅茶は蒸らし時間が中国茶よりもはるかに長い。したがって、このような保温策はたしかに効果がある。

日本茶の場合は、中国茶と似たような素材の急須を使うが、そもそも緑茶なので、高温ではほとんど淹れないので、ポットの保温策は全く考えられていない。

もちろん、湯をかけたほうがより保温性が確保されるだろう。だけど、こんな短い時間でそんなに急激に湯の温度の低下があるとは思えない条件の中で、あえて湯をかける行為をすることは、なんだか味わいや香りの面では無だな行為なのではないかと思えてしまう。(一度Tokyo中國茶倶楽部で取り上げてみよう。)

いったいいつごろから、こんな湯をかける行為が行われてきたのだろう。潮州工夫茶のやり方だと、茶壷そのものを湯につけてしまう。ずうっと飲みつづける場合には、とにかく湯をふんだんに使い、常に茶壺を冷めないようにする。ここまですれば、多分意味があるのかもしれない。でも、僕たちが普段やっている淹れ方では、効果はいかほどのものか。

と、いままで批判的なことを書いてきたが、冒頭に書いたように、僕はこの「湯をかける行為」は結構気に入っている。味わいや香りの面で科学的にそれほどの意味を持たないものであっても、多分僕にとって湯をかける行為は、湯を注ぎながら「美味しくはいれ」と念じているのと同じような、そんな意味合いの行為なのかもしれない。

だから、「なんで湯をかけるのですか?」と聞かれた時、僕が「おいしく淹れるため」とこたえるのは、おそらく中国茶の講師という肩書きを持った方々とは、かなり違う意味合いの答えなんだとおもう。

でも、そういう非科学的な部分って、結構大事なんじゃないかな。




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Tea Note
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ティーノート。書き始めてもうどのぐらいになるだろう。その時々で飲んだお茶の感想や茶殻、パッケージなどを張りつけたり、時には写真やメモ、お茶を飲んだ茶館のshopカードなどでうもれたそのティーノートは、僕のお茶遍歴そのものという様相を呈していた。

でも、ふときずくと、このところそんなティーノートのページが真っ白なまま。中国茶に飽きた?そんなことはない。ではなぜ?それは多分、自分の中での興味の対象が、「お茶を飲む」から「お茶を味わう」に変化したからではないかと思う。香りや味わいは、どうやってもノートには写し取れない。いろんな言葉を重ねても、どうしても空回りしてしまう。ならば、五感をフルに発揮して、その記憶を自分の中に留めておこう。そう思ったから。

昨年7月から仲間とはじめた品茶會。Tokyo中國茶倶楽部という名前でいろんなことをやってきた。これからもいろんなことをやっていくけど、この會の記録だけはきちんと留めておこうと思っている。それは、普段お茶を飲むときとは明らかに違う観点でお茶を飲んでいるから。

普段、お茶を楽しむときには、余計なことを考えずに、お茶と向き合ったり、友との語らいを楽しみたいと思うこの頃。





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テイスティングってよくわからない。
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数年前に台湾へ行った際に、縁あって台湾茶業改良場でテイスティングの仕方を教わったことがあった。長いこと改良場でテイスティングを教えている偉い先生に、ぶっつけ本番で、これをテイスティングしてみろといわれて、わけもわからないうちに、いくつかのお茶を飲んでみた。

テイスティングのやり方は、20gの茶葉の中から3gほど選び、専用の鑑定杯に入れ、150ccの熱湯を同時に注ぎ、約6分。その後、スプーンでかき混ぜたあと、しばらく置いて、外観、水色、香り、味わいを見るのだと、実際に作業をやりながら教わった。

一体全体、これらの評価項目についてどのような点に注目すれば良いかなんていうことも分からず、ただ蓋の香り、茶の水色、茶葉の見てくれ、スプーンですくって飲んだときの味わい、そしてスプーンに残った香り、などを本当に自分の好き嫌いで判断してみた。

その結果、なんと、東方美人以外は、先生が良いお茶といったのとほとんど同じ結果になった。僕が注目したのは、単に香りの立ち方が良い、味がよいという判断で、茶葉の見てくれは参考程度。しかも自分の中だけにある「好き・嫌い」という価値判断のみ。

で、そのときは、「なんだ、僕もやるジャン!」と思ったのだったが、他のお茶がそんな風に評価が間違っていなかったばかりに、東方美人の結果だけが納得できず、なぜ?と先生に食い下がった。

先生は呆れ顔で、「だって、このお茶には明らかに古い味がまざっているじゃないか。」とおっしゃった。「ええ?古い味?!」この東方美人のどこに古い味が混ざっているんだろう。どう考えても香りの甘さといい、味のコクといい、お茶全体のバランスは僕が選んだほうが良いじゃないか。

同行してくれた盛さんというお茶の振興の為にあちこち書けまわっている女性が、細かいニュアンスを英語で通訳してくれたのを聞いて、ちょっとびっくり。僕の選んだお茶は確かにコンクールで入賞した良いお茶なのだそうだ。でも、去年のお茶。一方、もう一つの東方美人は、今年のお茶。少しでも古さが混ざると、ティスティングでは、良い評価にはならないのだという。

個人的には、少し置いたほうが良いと思うお茶もあって(陳年茶は苦手だが)、昨年の夏のお茶と今年の夏のお茶は、保存方法さえ良ければ(東方美人のように発酵も火入れも結構強いお茶の場合は特に)そんなに違いはないと思っている。

そんな気持ちが、それから数年たった今でも僕の中に燻っていて、お茶の古い味に関してはまだ納得出来ずにいる。だから、いまやっている品茶の会でのカリキュラムには是非にでも、「お茶の古い味の認識」というのをやってみたいと思っている。

もっとも、テイスティングの結果としての品評会受賞茶の全てが、僕の嗜好とマッチするとは思えなくて、受賞茶ではないお茶にも、おいしいお茶が沢山さんあって、だから、いまでも、お茶の良し悪しは、あくまでも自分の中にある一定の基準・メジャーにしたがって選考されているわけだ。

たしかに台湾のテイスティングのやり方は、一定の合理的な判断の仕方だとは思うものの、普段飲んだ時に美味しければ良いじゃんと普段は思っている。

テイスティングのやり方で入れたお茶と、普段自分で入れるお茶の違い、つまりテイスティングのやり方だと、どこがどのように強調されるのか、デフォルメされるのか、そして古い味とはなにか、そんなことを引き続き追求してみるのも悪くない。



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